中国文化論

授業のテーマ(この授業で何を学ぶか)
 近年におけるインバウンドの拡大で、日本文化について改めて考え直す機会を得た人も多いだろう。しかし、日本文化とは何かを考えるには、古来、日本に多大な影響を与えてきた中国文化への理解が不可欠である。
 この授業の目的は、中国文化史を通観するとともに、それが日本や東アジア、さらに世界に及ぼした影響について理解することにある。
 中国文化が東アジアの諸民族に及ぼした影響は計り知れない。表意と表音という二つの機能を備えた漢字の発明は、言語を異にする東アジアの諸民族に漢語という共通言語(Lingua Franca)を与え、それを基盤とする文明圏の成立と高度な精神的交流を可能にした。漢代以降、中国の国教となった儒教は、東アジアに倫理観にもとづく社会秩序と国際秩序を与えた。中国の南北朝時代におけるサンスクリット語仏典の漢語への翻訳は、東アジアに仏教という世界宗教を誕生させた。紙や印刷術の発明は東アジアのみならず、世界の文明の発展に革命的な影響を及ぼした。
 中国の古代からの文化史を理解し、東アジアや世界という広い視野をもって日本文化を考え、説明できる力を身につけてほしい。

授業の概要と方法
 授業は、準備学習と講義、リアクション・ペーパーによる質問・意見を組み合わせて行います。限られた授業時間を有効に使うため、毎回、授業の前に準備学習の資料を読み、講義への理解を深めるとともに、質問や意見がある場合には、リアクション・ペーパーを通じて積極的に発言してください。
 課題などへのフィードバックは、授業中またはメールを通じて行います。

授業計画

月日 事前学習資料と講義内容 PPF
1 9/25 (はじめに)なぜ中国文化を学ぶのか?
 中国の古典に取材した落語を例に、日本文化を語る上で、中国文化への理解がいかに重要かを考える。
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2 10/2 (殷代)文字の誕生
  文字は人類がことばを記録するために発明した最初の装置である。文字の発明によって、人類ははじめて時間や空間を越えて、知識を伝達し、共有することを可能にした。中国で発明され、やがて東アジアの共通文字となった漢字はいつごろ誕生したのであろうか。中国最古の漢字である甲骨文字と、その発見によって実在が確認された殷王朝、さらにその研究に従事した研究者たちのドラマについて紹介する。
▶事前学習資料「マテオ・リッチと漢字
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3 10/9 (周代)采詩の官と詩経
 恋の喜び、暴政への怒り、戦争の悲しみ。周代になると、庶民の喜怒哀楽を歌った歌が数多く記録され、やがてそれらは『詩経』という古代歌謡集にまとめられていく。周王朝は、なぜ庶民の歌謡を採集したのだろうか。周代の采詩の官の制度と、それが古代日本の政治や文化に与えた影響について紹介する。
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4 10/23 (春秋戦国時代)孔子と儒教
 周が失政により都を洛陽に移して以降、秦が全土を統一するまで、中国では五百年あまりに及ぶ戦乱の時代が続いた。そうした中、人への愛を説き、普遍的な人間の生き方、社会のあり方を説くことで、秩序ある平和な世界を築こうとした思想家がいた。孔子である。孔子はどのような人生を歩み、その思想は今日の私たちにどのような影響を与えているのかを考える。
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5 10/30 (秦代)亡国の民が伝えた英雄伝説
 戦国時代の末期、法家思想に基づく富国強兵策によって唯一の超大国となった秦は、秦王政(のちの始皇帝)の時代、その圧倒的な軍事力によって東方六国への侵攻を始める。迫りくる秦の脅威を前に、燕国は国の命運を一人の刺客に託す。たった一本の匕首で大国・秦の野望を打ち砕こうとした荊軻。秦による天下統一の陰で、亡国の民が伝えた英雄伝説を紹介する。
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6 11/6 (漢代 )漢民族の形成と紙の誕生
 秦が天下統一からわずか十四年で滅んだ後、中国をふたたび統一したのが漢である。儒教思想をもとに新たなナショナル・アイデンティティーを築いた漢の名は、やがて中華民族の代名詞となっていく。漢代には、中国の文化史上、画期的な事件が起こる。紙の誕生である。紙という安価な書写材料の誕生により、それまで歴史の闇に消えていた多くの文学作品が記録され、後世に伝えられた。後漢末の実話を描いた長編叙事詩「焦仲卿の妻」もそうした作品の一つである。
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7 11/13 (魏晋南北朝時代・上)北朝と南朝の民間伝承に描かれた女性像
 四百年にわたって中国全土を支配した漢王朝が滅亡した後、中国は再び分裂の時代を迎える。三国志演義が描く三国鼎立の時代である。
 魏の後を受けた西晋によって統一が実現したものの、王朝内の内紛(八王の乱)をきっかけとして、五胡と呼ばれる周辺の異民族が蜂起し、中華文明の中心である中原はその支配下に入る(北朝)。
 中原を逐われた漢民族の支配層は、長江を渡って江南に逃れ、そこに漢代以来の封建的な礼教思想に基づく門閥貴族社会を築く(南朝)。
 北朝と南朝で作られた男装の少女を主人公とする二種の叙事詩を通して、この二つの対照的な世界について考える。
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8 11/20 (魏晋南北朝時代・下)東アジアの世界宗教となった仏教
 ヒエロニムスがヘブライ語やギリシア語で書かれた聖書の原典をラテン語に翻訳していたころ、中国では西域僧の鳩摩羅什(クマーラジーヴァ、三四四~四一三)が北朝の後秦の都・長安に招かれ、仏教経典の翻訳に当たっていた。
 サンスクリット語で書かれた仏教経典が、東アジアの共通語(Lingua franca)である漢語に翻訳されたことにより、南北朝から隋、唐時代にかけて、仏教は東アジアの世界宗教となっていく。
 では、なぜこの時代に仏教経典が盛んに翻訳されたのであろうか。
 儒教とともに東アジアの人々の精神的支柱となった仏教について考える。
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9 11/27 (隋唐時代)敦煌文書の世界
 南北朝時代に中国に広まった仏教は、隋唐時代にその黄金時代を迎えた。寺院では、仏の教えを庶民にわかりやすく伝えるため、「変」と呼ばれる絵巻を示しながら、 歌と語りを交えて語る絵解き講釈 「変文」が人気を集めていた。
 仏教とともに西域から伝わったと考えられる「変文」は、やがて民間にも広く普及し、絵解きをしながら物語を語る民間芸人が登場した。
 19世紀の末、シルクロードの仏教石窟から、この変文を含む数万点の古文書が発見された。巨大なタイムカプセルともいうべき敦煌文書の発見によって明らかになった唐代の庶民文芸について考える。
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10 12/4 (番外編)敦煌文書と狂言
 シルクロードの仏教石窟(敦煌莫高窟第十七窟)で発見された古文書の中からは、狂言「附子」や「鏡男」のルーツとなったと考えられる資料も発見された。敦煌写本『啓顔録』である。当時は日本にも伝えられていたこの資料と狂言との繋がりを考えるとともに、これらの古文書がなぜ石窟の中に封蔵されたのかという謎について考えてみたい。
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11 12/11 (五代十国時代・上)書籍出版のはじまり
 唐末から五代十国時代にかけて、中国は武人支配の時代を迎える。武人の台頭により門閥貴族が没落すると、これに代わって新たな政治の担い手となったのが、科挙出身の文人官僚たちだった。
 彼らは科挙を通じて身分や家柄に関係ない平等な社会を築くため、唐末に民間で発達した印刷技術を使って教育の普及に努めた。書籍出版のはじまりである。
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12 12/18 (五代十国時代・下)
 身分制度なき柔構造の封建社会と呼ばれる新たな時代の到来とともに、文学の世界では格式ばった詩に代わり、庶民の間に生まれた詞が人々の心をとらえるようになった。
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13 1/8 (宋代・上)科挙制度と“負心文学”の誕生
 科挙は身分や家柄に関係なく、誰もが官吏となって政治に参画し、富と栄誉を得る機会を保障した。その結果、中国では社会階層の流動性が高まり、教育も普及した。
 文学の主体も貴族から庶民へと移り、宋代には本格的な演劇が登場する。しかしその草創期の題材となったのは、科挙に合格した男たちの裏切りを描いた「負心」物語だった。
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14 1/15 (宋代・下)三国志の誕生
 宋代、詞の隆盛や本格的な演劇の誕生とともに、史書を素材とする「説古話」と呼ばれる歴史講釈が人気を博した。日本の琵琶法師が語った『平家物語』と同様、仏教思想の影響を強く受けた「説古話」は、出版業の発展とあいまって、仏教の絵解き講釈を模した挿絵入りの通俗読み物として出版された。その一つが元代に刊行された『全相平話三国志』である。
 明代になると、モンゴルの支配を脱した漢民族は、外来の仏教思想を排して、民族の伝統思想である儒教を基にこの物語を新たな文学作品へと改編した。こうして誕生したのが、中国の俗文学を代表する『三国志演義』である。
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15 1/22 (まとめ)授業のふりかえりとグループワーク
 14回の授業をふりかえり、中国文化が私たちにどのような影響を与えているかについてグループワークを行う。
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成績評価基準
 成績評価は次のような基準で行います。
①毎回授業の後に提出するリアクション・メール(80%)
②期末レポート(20%)