授業のテーマ 授業の到達目標 授業外に行うべき学習活動(準備学習等) テキスト 参考書
成績評価基準
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期末レポートについて テーマ:この授業で扱った問題に関する書籍または論文を読み、その内容を要約し、あなたの考えを書いてください 文字数:2000字以上 書 式:レポートのサンプルを参考に、表紙や目次、脚注、参考文献など基本的な書式を整えた上で、A4用紙に横書きで両面印刷してください。引用文は剽窃(plagiarism)にならないよう「」に入れたり、インデントを行ってその範囲を明らかにし、脚注に出典を明記してください。 提出日:最終授業時に提出 |
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回 | 月日 | テーマ | PPF |
1 | 4/9 | 日本人とは? 「日本人」とは何か?現生人類の誕生に遡り、その遺伝的特徴と他のアジアの人々の関係にについて考える ▶事前学習資料「わたしの祖先は縄文人?」 |
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2 | 4/16 | (1世紀~6世紀)ヤマト語文化圏“倭”の登場 縄文文化や弥生文化、古墳文化を築いた人々は、遺伝的にはアジア各地にルーツを持つ多様な集団であった。彼らはやがてヤマト語を共通言語とする独自の文化圏「倭」を形成し、中国大陸や朝鮮半島との交流を開始する。 ▶事前学習資料「漢字がやってきた」 |
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3 | 4/23 | (6世紀末)朝貢から外交へ 東海に浮かぶ一朝貢国に過ぎなかった倭は、隋がおよそ二百七十年ぶりに中国全土を統一したのを機に、使節を送り、対等な外交関係を模索する ▶事前学習資料「隋の煬帝はなぜ怒ったのか?」 |
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4 | 5/7 | (7世紀~9世紀)遣唐使の時代 倭は中国の先進的な制度や文化を学ぶため、多くの学生や学僧を中国に派遣する。彼らの勤勉で礼儀正しい行動は、中国の対日イメージを大きく変えていく ▶事前学習資料「倭から日本へ」 |
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5 | 5/14 | (9世紀~13世紀)民間交流の時代へ 唐の衰退により遣唐使の派遣を停止した日本は、やがて民族文字である「かな」に代表される独自の文化や技術を生み出していく。民間交流を通じて中国に輸出された日本の製品は、中国で高い評価を受ける ▶事前学習資料「かなの誕生」 |
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6 | 5/21 | (13世紀~14世紀)元寇 唐王朝の滅亡後、東アジアは征服王朝の時代を迎える。モンゴルがユーラシア大陸を席捲する中、日本も白村江の戦い以来の大規模な対外戦争=元寇に襲われる。日本はなぜモンゴルの侵攻を防ぐことができたのか。その背景には、朝鮮半島やベトナムの人々のモンゴルに対する抵抗運動があった。 |
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7 | 5/28 | (15世紀~16世紀)倭寇と遣明使 南北朝の争乱に始まった室町時代、日本を拠点する武装集団が朝鮮半島や中国沿海部を襲った。東アジアの人々の対日イメージを 180 度変える最初の原因となった倭寇である。 モンゴルを駆逐して漢民族王朝を復興した明は、倭寇対策のため民間貿易を禁じ、朝貢貿易への一本化を図る。 ▶事前学習資料「海を渡った画家~雪舟」 |
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8 | 6/4 | (16世紀末)豊臣秀吉の朝鮮出兵 朝鮮半島や中国沿海部を襲った倭寇に続き、1592年から前後7年に及んだ豊臣秀吉の朝鮮出兵は、東アジアの人々に日本に対する負の記憶を刻み込む。朝鮮出兵の際、日本へ拉致された被虜人(捕虜)を通じて、朱子学が伝えられると、江戸幕府はこれを武士の正学と定め、平和で秩序ある社会を再構築した。また被虜人となった朝鮮の陶工たちは日本に磁器の生産技術を伝えた。 ▶事前学習資料「耳塚に葬られた明の兵士たち」 |
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9 | 6/11 | (20世紀初)魯迅と藤野先生 近代中国を代表する作家・魯迅が日本留学時代の恩師の思い出を書いた小説「藤野先生」。中国ではいまも中学校用教科書に収録され、毎年1600万以上の中学生がこの作品を通じて日中友好の大切さを学んでいる。 ▶事前学習資料「中国の初代最高法院院長(最高裁長官)になった清国留学生」 |
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10 | 6/18 | (1920~30年代)霧社事件 日清戦争の勝利により最初の植民地・台湾を獲得した日本。漢民族の抵抗運動を鎮圧し、植民地経営も軌道に乗ったと思われた1930年、山地に住む先住民が突如叛旗を翻した。「霧社事件」と呼ばれるこの戦いは、テレビドラマや映画を通じて、いまも台湾の人々に語りつがれている。 | PPF |
11 | 6/25 | (1930~40年代)李香蘭が見た戦時下のポップカルチャー 旧満州(中国東北部)に生まれた山口淑子は、日本の国策会社・満州映画協会の専属女優となり、李香蘭の芸名で銀幕やステージで活躍するが、戦後、その活動が問題視され、漢奸裁判にかけられる。戦時下、プロパガンダに利用されたポップカルチャーについて考える。 | PPF |
12 | 7/2 | (1945~52)「留用」された人々 戦後、海外邦人の集団引揚が行われ、アジアや太平洋の各地から六三九万人が帰国した。 その間、ソ連には軍人を中心とする五十八万の日本人が抑留され、過酷な労働によって五万五千人が死亡した。 一方、中国にも「留用」という名のもとに抑留された約一万人の日本人がいた。 かつての敵国で働くことになった彼らは、そこでどのような経験をしたのだろうか。 ▶事前学習資料于文「中国空軍創設につくした日本人教官」(『人民中国』2006年3月号) |
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13 | 7/9 | (1952~72)日中国交正常化と「二分論」 1950年6月、北朝鮮の侵攻によって始まった朝鮮戦争は、11月に中国が参戦したことで、西側(資本主義)と、東側(社会主義)の両陣営による代理戦争へと発展した。アジアでの東側(社会主義)の勢力拡大を恐れた米国は、台湾の国民政府に日本との早期講和を求め、52年、日華平和条約が締結された。一方、東西冷戦の中、日本との早期講和を求めた中国政府は、「二分論」によって国民の理解を求め、72年の国交正常化を実現する。しかし、この「二分論」に対する日中双方の認識の違いが、やがて両国民の間に新たな対立を生じさせることになる。 ▶事前学習資料「誤訳を越えた友好」 |
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14 | 7/16 | (1972~現在)現在の日中関係 現在も日中関係に影を落とす靖国問題、領土問題、台湾問題を取り上げ、その原因や解決方法について考える。 |
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参考資料 北京大学滕軍教授《中日文化交流史》