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2025年度授業計画

2025-04-25(金)第2回

1.アイスブレーキング 13:10~13:40  名札をつけて、グループを半分ずつ交替しながら、自由に話しましょう。 2.新聞発表とグループワーク 13:40~14:00 新聞発表 「外交青書『日朝協力を深刻に憂慮』」(朝日新聞2025年3...
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保護中: 2024年度ゼミ生名簿

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2025-04-18(金)第02回

春のフィールドワーク 目的  飯田橋駅の近くにある小石川後楽園を訪ね、江戸時代の初め、日中の文化交流に大きく貢献した朱舜水(1600-1682)の足跡を辿ります。 場所 小石川後楽園 〒112-0004 東京都文京区後楽1丁目6−6 日程 ...
日中交流の史跡と文化

第2回 金印はホンモノ?

日中の交流はいつから始まったのでしょうか。  秦代(西暦前221~206年)の徐福伝説のようなものは別として、史料と物証の両面から明らかなのは倭の奴国が後漢に送った使節でしょう。中国の正史の1つ『後漢書』には、建武中元2年(西暦57年)に倭...
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【コラム】小石川後楽園

【コラム】小石川後楽園  小石川後楽園はもと水戸徳川家の江戸上屋敷の庭園だったところで、寛永6年(1629)、初代藩主徳川頼房によって造営されました。その後、二代藩主光圀の時代に唐門からもんや円月橋などをもつ中国風の庭園に改修され、「後楽園...
日中交流の史跡と文化

第3回 邪馬台国と卑弥呼の時代

日中文化交流史 第3回 邪馬台国と卑弥呼の時代 魏の使節が見た古代日本  『三国志』の時代、魏の景初3(239)年のこと1。邪馬台国の卑弥呼が魏に使節を派遣し、明帝から「親魏倭王」の称号と金印、銅鏡などを下賜されました。  金印はまだ発見さ...
日中交流の史跡と文化

【コラム】壱岐島原の辻遺跡と「貨泉」

青木観雪  邪馬台国を訪れた魏の使節の足跡を伝える遺跡の一つに、壱岐島の原の辻はるのつじ遺跡があります。ここには弥生時代の環濠集落跡があり、『魏志倭人伝』が記す「一支国」の王都跡ではないかと考えられています。  『魏志倭人伝』によると、「一...
日中交流の史跡と文化

第4回 漢字がやってきた

埼玉県行田市の稲荷山(いなりやま)古墳から、1968年、1本の鉄剣が出土しました。その後の調査で剣の両面に115字の銘文があることがわかり、これが「獲加多支鹵ワカタケル大王」に仕えた人物のものであることが分かりました。ワカタケル大王とは雄略...
日中交流の史跡と文化

【コラム】現代に姿を現した古墳人

現代に姿を現した古墳人  古墳時代の日本人は、どんな姿をしていたのでしょうか。ここでは、火山の噴火で封印された古墳時代の遺跡と、そこから発見された古墳人について紹介しましょう。  群馬県にある榛名山はるなさんは、美しいリゾート地です。山頂に...
日中交流の史跡と文化

【コラム】渡来人(作成中)

【コラム】渡来人  平安京に都を移した桓武天皇は、延暦18年(799)、諸氏族に本系帳の進上を命じました。本系帳とは、各氏族の由来と系譜を記した家系図です。弘仁6年(815)、こうして集められた本系帳をもとに、諸氏族の由来と系譜をまとめた『...