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日中交流の史跡と文化

【コラム】坂上田村麻呂夫妻と清水寺

「そもそも当寺清水寺と申すは、大同二年の御草創、坂の上の田村丸の御願なり」  謡曲『田村』にも謡われているとおり、清水寺は坂上田村麻呂を本願主とする寺です。  平安時代に藤原明衡(989?-1066)が著した「清水寺縁起」によれば、この寺は...
日中交流の史跡と文化

第9回 「工匠精神」

第9回 「工匠精神」~中国の人びとを驚かせた日本の工芸技術  中国の人びとの対日イメージの一つに、「工匠精神」があります。日本には精緻で遊び心ある匠(たくみ)の心があるというのです。では、このイメージはどのように作られたのでしょうか。  唐...
日中交流の史跡と文化

【コラム】印刷術の誕生と伝播

【コラム】印刷術の誕生と伝播  中国の四大発明の一つである印刷術は、どのように誕生し、日本へと伝えられたのでしょうか。  印刷術の誕生には、仏教が大きく関わっていたようです。『西遊記』の三蔵法師のモデルとなった玄奘は、晩年、高宗の庇護の下、...
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第10回 かなの誕生

文字はヒトがコトバを記録するために発明した最初の道具です。コトバを音声のまま記録できるようになったいまでも、文字はコトバを伝え合う道具として、私たちの文明を支えています。では、日本語を記録するための文字であるかなは、いつごろ誕生したのでしょ...
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【コラム】漢字からひらがなへ――奈良薬師寺「仏足跡歌碑」

鈴木 靖  古墳時代、日本にはまだ自らの言葉を記す文字はなく、文書はすべて漢文で書かれていました。しかし、奈良・平安時代になり、世界中の使節や商人が集まる唐を訪れた日本の使節や留学生たちは、世界には中国以外にも自らの言葉を自らの文字で記す国...
2025年度授業計画

【コラム】金錯銘鉄剣と中国系渡来人

新井梨紗・清水玲奈  稲荷山いなりやま古墳は、埼玉古墳群の中で最古の古墳で、その時期は5世紀頃とされています。墳丘は全長120メートル、高さ20メートルほどで、県内で3番目の規模を誇る前方後円墳です。墳丘の頂上に登ることができ、周囲の古墳を...
2025年度授業計画

【コラム】仏教伝来を伝える遺跡群―雷丘東方遺跡(小墾田宮推定地)と向原寺(豊浦寺跡地)

【コラム】仏教伝来を伝える遺跡群 雷丘東方遺跡(小墾田宮推定地)と向原寺(豊浦寺跡地) 後藤由貴乃  中国の南北朝時代、西域から伝えられた仏教は、やがて東アジア各地に広まっていきました。日本に仏教が伝えられたのは、6世紀ごろ。その伝統は葬儀...
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第11回 渡来僧から歯医者まで~民間交流の時代へ

1987年、福岡市の旧平和台球場の改修現場から鴻臚館こうろかんの遺構が発見されました。古代、日中の外交や貿易の窓口であった施設で、9世紀末に遣唐使が廃止された後も、民間交流の拠点となっていました。   その後、11世紀後半になると、民間交流...
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【コラム】天武・持統天皇陵(檜隅大内陵)

天武・持統天皇陵(檜隅大内陵ひのくまのおおうちのみささぎ) 田中美有、若尾莉奈  天武天皇と、その皇后であり史上3人目の女性天皇である持統天皇は、6世紀から7世紀にかけて、唐の制度に倣い、漢文による国史『日本書紀』の編纂や律令制の導入、日本...
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【コラム】日本の万里の長城「水城」

白鳥満理奈 韓衣からころも裾すそに取りつき泣く子らを 置きてぞ来きぬや母おもなしにして  この歌は、大伴家持¹によって集められ、『万葉集』²に収められた防人歌の1つです。母親のいない我が子を残して、遠い九州まで派遣されることになった一人の父...