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日中交流の史跡と文化

【コラム】東洋文庫と書道博物館 

青木観雪  このコラムでは、甲骨文字が所蔵されている施設を2つ紹介します。  一つ目は、東京都文京区にある「東洋文庫」という施設です。東洋学の専門図書館・研究所で、林泰輔が収集していた甲骨文字もこちらの施設に所蔵されています。蔵書数は国宝5...
日中交流の史跡と文化

第21回 映画による戦時下の文化交流

戦時中、日本は中国大陸に、満州映画協会(満映)、華北電影、中華電影という3つの国策映画会社を作りました。このうち好対照をなしているのが、満映と中華電影です。  満映の理事長は、甘粕正彦。関東大震災(1923年)の際、無政府主義者の大杉栄夫妻...
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【コラム】鎌倉市川喜多映画記念館

新井梨紗 清水玲奈  中華電影設立の背景には、日中戦争がありました。戦争が始まった1937年には上海が日本に占領され、中国の映画の中心地であった上海では、抗日映画や日本に批判的な映画の制作は困難になっていきました。  1938年、日本で国家...
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第22回 憎しみの連鎖を断つために

戦中から戦後にかけて、アジア各地で日本の戦犯裁判が開かれました。被告の数は約5700人。このうち984人が死刑判決を受けました。  一方、1956年に中国で行われた裁判では、戦犯1017人中、起訴されたのは45人だけ。死刑判決を受けた者は1...
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【コラム】中国帰還者連絡会の結成

齋間葉月  1950年7月、ソ連のシベリアに抑留されていた日本人捕虜969名1が、建国して間もない中国に引き渡されました。彼らが収容されたのは、撫順にある戦犯管理所でした。  捕虜ではなく、戦犯として収容されたことを知った彼らは、ひどく動揺...
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第23回 誤訳を越えた友好

1972年、田中角栄首相が、国交正常化交渉のために訪中した時のこと。歓迎晩餐会でのスピーチで、田中首相は過去の歴史について、こう謝罪しました。  「過去数十年にわたって、日中関係は遺憾ながら不幸な経過を辿(たど)って参りました。この間、我が...
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【コラム】饅頭の話

鈴木靖  落語に「饅頭こわい」という咄があります。町内の若い衆がいつものように話に花を咲かせていると、いつしか話題は怖いものに。ヘビだ、クモだという中、辰さん(上方落語ではみっつぁん)は意外なものを挙げます。それはなんと饅頭。日ごろ辰さんに...