2024-07-05(金)第12回

2024年度授業計画
科学研究費助成事業研究成果報告書「全ゲノム解析法を用いた縄文人と渡来系弥生人の関係の解明」2018年より

1.アイス・ブレーキング

13:10~13:30 合宿での活動について

2.輪読発表とグループワーク

13:30~14:00 輪読発表

【課題図書】Ⅰ 日本列島の原始社会と朝鮮半島

14:00〜14:20 グループワーク

  • 課題図書を読んで興味を感じたところ、疑問に思ったところ

14:20~14:30 休憩

3.新聞発表とグループワーク

14:30~14:50 新聞発表

  •  

14:50~15:10 グループワーク

  • 中国はなぜ「世界一安全な国」をアピールするのか?

15:10〜15:15 休憩

4.補足説明

15:15~16:00
 以下のコラムを読んだ後、あなたは自分の祖先はどこから来たと思いますか。

【出典】鬼頭宏『図説で見る日本史』2007年をもとに作成

▼縄文時代から現代に至るまでの日本人ゲノムの変遷

【出典】覚張隆史ほか「パレオゲノミクスで解明された日本人の三重構造」(報道発表 2021年9月21日)

【輪読図書関連年表】

西暦 国・地域 出来事
中国
朝鮮
日本
57 後漢

馬韓 辰韓 弥生時代 倭の奴国王が後漢に朝貢し、「漢委奴国王」の金印を下賜される
220     曹丕が後漢の献帝から禅譲を受け、魏を建国
221 劉備が漢の正統を継ぐため、蜀を建国
229 孫権が皇帝に即位し、呉を建国
239 古墳時代 邪馬台国の卑弥呼が魏に朝貢
240 邪馬台国の卑弥呼が再び魏に上表
243 邪馬台国の卑弥呼が三たび魏に使節を派遣
245 魏が邪馬台国の卑弥呼に黄幢(軍旗)を下賜
247 魏が帯方郡から邪馬台国に張政を派遣
263   魏が蜀を滅ぼす
265   司馬炎が魏の曹奐から禅譲を受け、西晋を建国
266 邪馬台国の壱与が西晋に使いを送る(謎の四世紀の始まり)
280 西晋 西晋が呉を滅ぼし、中国全土を統一
308



  西晋の懐帝が匈奴の首長劉聡に殺され、西晋が滅亡
313 高句麗が楽浪郡・帯方郡を滅ぼす
317 東晋 司馬睿が建業(現在の南京)で晋王朝を復興(東晋)
  百済 新羅 4世紀初め、百済、新羅が建国
346 百済で近肖古クンサゴ王が即位
356 新羅で奈勿ネムル王が即位
372 百済が東晋に入朝し、冊封を受ける
前秦から高句麗に僧が派遣され、仏像と経文を伝える
百済の使者久氐が来朝し、服属のしるしに七支刀を献上(神功皇后52年を干支二運繰り上げ説により120年繰り下げ)
384 東晋から百済へ仏教が伝わる
391 倭が高句麗を攻撃(「広開土王碑」)
413 倭が東晋に使節を派遣(謎の四世紀終了)
414 高句麗が好太王の事績を記念して広開土王碑を建立
420 劉裕が東晋の恭帝から禅譲を受けて、南朝宋を建国
439 北魏 北魏の太武帝が華北を統一
475 百済が漢山城(ソウル)から熊津城(公州)へ遷都
479 蕭道成が南朝宋の順帝から禅譲を受け、南朝斉を建国
500 新羅で智証王が即位
501 百済で武寧王が即位
502 蕭衍が南朝斉の和帝から禅譲を受け、南朝梁を建国
514 新羅で法興王が即位
527 筑紫の国造磐井が反乱を起こす(磐井の乱
529 倭が近江毛野を安羅国に派遣
532 金官国が新羅に降伏し、併合される
534 西魏 東魏 北魏が東魏と西魏に分かれる
538 百済が熊津城(公州)から泗泚城(扶余)へ遷都
百済の聖明王が欽明天皇に仏像や経典が送る(『上宮聖徳法王帝伝』による仏教公伝)
541 百済の都泗沘城で任那復興会議が開催される
544 百済の都泗沘城で任那復興会議が開催される
550 北斉 東魏の実権者高洋が北斉を建国
552 百済の聖明王が欽明天皇に仏像や経典が送る(『日本書紀』による仏教公伝)
554 百済の聖王が新羅との戦いで戦死
557 北周 西魏の実権者宇文氏が北周を建国
南朝梁の重臣陳霸先が敬帝から禅譲を受け、陳を建国
562 新羅が大加耶国を滅ぼし、加耶全体を併合(「任那」の滅亡)
570 高句麗が倭に初めて使者を送る
577   北周が北斉を滅ぼす
581 北周宣帝の外戚楊堅が政権を奪い、隋を建国
587 崇仏派の蘇我馬子らが廃仏派の物部守屋を討伐(丁未の乱
589   2月、隋が南朝陳を滅ぼし、中国全土を統一
592 飛鳥時代 推古天皇が即位し、明日香に都を置く
595 高句麗から慧慈が渡来し、聖徳太子の仏教・政治・外交のブレインとなる
596 蘇我氏が法興寺(現在の飛鳥寺)を建立(高句麗の建築様式の影響?)
598 隋の文帝が第一回高句麗遠征
600 第一回遣隋使派遣(『隋書』倭国伝)
倭が新羅に出兵
601 倭が高句麗・百済に使節を派遣して新羅攻撃を協議
607 第二回遣隋使派遣
608 隋が答礼使として裴世清を倭に派遣
裴世清を送るため、第三回遣隋使派遣。高向玄理、南淵請安、僧旻、倭漢福因、恵隠らを隋に留学させる
612 隋の煬帝が第二回高句麗遠征
613 隋の煬帝が第三回高句麗遠征
614 隋の煬帝が第四回高句麗遠征
618 李淵が隋を滅ぼして唐を建国
623   新羅から倭に仏像が送られ広隆寺に安置される(広隆寺の弥勒菩薩像か?)
630   倭が第一回遣唐使を派遣
632   第一回遣唐使犬上御田鍬を送って、高表仁が来日するが、礼を争って帰国
640   第二回遣隋使とともに渡海した高向玄理が、新羅を経て32年ぶりに帰国
642   高句麗で泉蓋蘇文がクーデターを起こす
百済の義慈王が新羅に侵攻
新羅が金春秋(のちの武烈王)を高句麗に派遣
643   新羅が唐に使者を送り、救援を要請
645   2月、唐の太宗が第一回高句麗遠征
6月、倭で蘇我入鹿が誅殺され(乙巳の変)、高向玄理と僧旻を国博士に任ずる
646   倭が高向玄理を新羅に派遣
647   新羅が金春秋(のちの武烈王)を倭に派遣
唐が第二回高句麗遠征
648   唐が第三回高句麗遠征
新羅が金春秋(のちの武烈王)を唐に派遣
649   新羅が唐の衣冠礼服の制度を採用
650   新羅が独自の年号を廃し、唐の年号を採用
651   新羅の貢調使が唐風の官服で来朝、大宰府は非礼として追い返す
653   倭が第二回遣唐使を派遣
654   倭が第三回遣唐使を派遣
新羅の武烈王(金春秋)即位
高向玄理
659   倭が第四回遣唐使を派遣、使節は長安に抑留される
660   唐・新羅連合軍が百済を攻撃、義慈王が降伏し百済滅亡
661   新羅の武烈王(金春秋)没
倭が百済の遺臣鬼室福信らの要請により、人質となっていた余豊璋を五千の兵をつけて帰国させる
663   倭が百済復興を支援するため、上毛野稚子を将軍とする二万七千の軍勢を派兵(白村江の戦
664   倭が対馬・壱岐・筑紫に防人と烽火を置く
665   倭が第五回遣唐使を派遣
668   唐・新羅連合軍の攻撃により高句麗滅亡
669   倭が第六回遣唐使を派遣(こののち33年にわたり遣唐使の派遣を中断)
670   新羅が旧百済領に侵攻し、朝鮮半島で羈縻政策を進める唐と対立(羈縻政策とは、帰順した諸民族地域に羈縻州を置き、都督府の督察下での自治を認める間接統治策)
672   倭で天智天皇の後継をめぐって内戦が起こり(壬申の乱)、勝利した大海人皇子が即位して天武天皇となり、皇后であとを継いだ持統天皇とともに唐の律令制度を導入
676 統一新羅 新羅が伎伐浦で唐軍を破り、旧百済領全域を支配し、唐の羈縻政策を排除
698 高句麗の遺民と靺鞨人が渤海を建国
702 倭が国号を日本と改め、第七回遣唐使を派遣
710 奈良時代 3月、元明天皇が藤原京から平城京へ遷都(奈良時代の始まり)
720 『日本書紀』が成立
753 遣唐大使の藤原清河が唐の朝廷での朝賀の際、新羅と席次を争う(争長事件
759 倭が新羅遠征を計画
779 天皇が「表を将たざるものの境に入ら使むべからず」という詔を出し、新羅の使節を追い返す(新羅との国交断絶
784 11月、桓武天皇が平城京から長岡京へ遷都
794 平安時代 10月、桓武天皇が長岡京から平安京へ遷都(平安時代の始まり)
828 新羅商人張保皐(790-841)が大宰府に来航
838 最後の遣唐使として、藤原常嗣や円仁らが渡唐
847 円仁が新羅の商船に乗って帰朝
892   後百済   甄萱が後百済を建国
901   弓裔が後高句麗を建国
907 五代十国時代 唐が滅ぶ
918 後高句麗で王建が王位を奪い、高麗を建国
922 後百済から使節が来朝するが、通交を拒否
926 渤海が契丹族に滅ぼされる
929 後百済から再び使節が来朝するが、通交を拒否
935   高麗が新羅を滅ぼす
936 高麗 高麗が後百済を滅ぼし、朝鮮半島を統一
937 高麗から使節が来朝するが、通交を拒否
939 日本で平将門の乱が起こる
高麗から再び使節が来朝するが、通交を拒否

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