1.班別研究について
13:20〜13:30 班別研究
3.新聞発表とグループワーク
13:30〜13:50 新聞発表
【新聞記事】「竹島の日式典330人」(朝日新聞2024年2月23日朝刊大阪島根全県)
13:50〜14:30 グループワーク
【参考資料】
- アメリカは竹島/独島をどの国の領土だと考えているのか?
The Geographic Names Server (GNS)
The Geographic Names Server (GNS) is the official repository of standard spellings of all foreign geographic names, sanctioned by the United States Board on Geographic Names (BGN). - 韓国の人はみな竹島/独島を自国の領土だと考えているのか?
【映像資料】日本「韓国でベストセラー反日批判の本なぜ?」(NHK総合 2019年9月29日放送)
李栄薫「独島、反日種族主義の最高象徴」(李栄薫編『反日種族主義』文芸春秋、2019年) - 万一、竹島や北方領土、尖閣諸島で紛争が起こった場合、日米安保条約が適応され、米軍の支援を受けることはできるのか?
「日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約(日米安保条約)」(外務省)
14:30~14:40 休憩
3.輪読発表とグループワーク
14:40~15:10 輪読発表
【課題図書】Ⅳ 平安・鎌倉時代の日本と高麗――自尊と憧憬
15:10〜15:30 グループワーク
【問】日本は渡海制と呼ばれる海外渡航制限続を続けていたにも関わらず、中継貿易などで外国と交易を続けていましたが、日本は外国との関係を好んでいたか嫌っていたかのどちらでしょうか?
【参考資料】
- 古代日本人はなぜ異国をケガレが充満するところと恐れたのか?
市大樹「天平の疫病大流行~交通の視点から」(国際交通安全学会誌 Vol.45 No.2 2021年10月)
4.合宿について
15:30~15:40 合宿について(合宿先、日程、期間、目的)
5.補足説明
15:40〜16:00 補足説明
- 日本はなぜ元寇を防ぐことができたのか?
中国の文化Ⅲ(日中文化交流史)第6回(課題図書pp.122-128の補足説明) - 倭寇や秀吉の朝鮮出兵を正当化する根拠となった神功皇后の伝説とは?
吉野誠『東アジアのなかの日本と朝鮮』(明石書店 2004年)
一連の過程における日本の対応に特徴的なのは、相手方との交渉らしきものがほとんどなされなかったということでしょう。‥‥朝廷にいたっては、ただひたすら寺社に命じて「異国調伏」の祈願をおこなわせただけでした。‥‥得体のしれない恐ろしいものとしての「ムクリ」(蒙古)、それと一緒になって攻めてきた「コクリ」(高句麗)への敵愾心のみがのこされることになります。まさしく神々への祈願のかいあって「神風」が吹き、この体験はもっぱら神国思想の深化に帰結していったようにみえます。そこでは、とりわけ神功皇后の伝説が強調されました。そして、『日本書紀』では金銀財宝の獲得を動機として説明されていた新羅征伐が、モンゴル襲来を経た鎌倉末期の『八幡愚童訓』においては、先に攻撃をうけたことへの仇討ちの話になります。(pp.128-129)
文部省編『尋常小学国史 上巻』(日本書籍 1927年)pp.15-19
西暦 | 国・地域 | 出来事 | ||||||
中国 |
朝鮮 |
日本 | ||||||
824 | 唐 | 統一新羅 | 平安時代 | 新羅商人張保皐(790-841)が大宰府に来航 | ||||
838 | 遣唐使として、藤原常嗣や円仁らが渡唐(最後の遣唐使) | |||||||
847 | 円仁が新羅の商船に乗って帰朝し、『入唐求法巡礼行記』を著す | |||||||
892 | 後百済 | 甄萱が後百済を建国 | ||||||
901 | 後高句麗 | 弓裔が後高句麗を建国 | ||||||
907 | 遼 | 五代十国時代 | 唐が滅ぶ | |||||
918 | 後高句麗で王建が王位を奪い、高麗を建国 | |||||||
922 | 後百済から使節が来朝するが、通交を拒否 | |||||||
926 | 渤海が契丹族に滅ぼされる | |||||||
929 | 後百済から再び使節が来朝するが、通交を拒否 | |||||||
935 | 高麗が新羅を滅ぼす | |||||||
936 | 高麗 | 高麗が後百済を滅ぼし、朝鮮半島を統一 契丹族の遼が華北に侵入し、燕雲十六州を支配下に収める |
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937 | 高麗から使節が来朝するが、通交を拒否 | |||||||
939 | 日本で平将門の乱が起こる 高麗から再び使節が来朝するが、通交を拒否 |
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940 | 高麗から三たび使節が来朝するが、通交を拒否 | |||||||
960 | 北宋 | 趙匡胤が都を開封に定め、宋を建国 | ||||||
993 | 高麗が契丹の侵攻を受け、藩属国となる | |||||||
1004 | 宋が遼を兄とする盟約を結ぶ(澶淵の盟) | |||||||
1019 | 3月、女真人の船団が対馬、壱岐、九州北部を襲う(刀伊の入寇) 9月、高麗が女真人に捕らわれていた日本人270人を送還 |
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1079 | 高麗から大宰府に医師を要請する書状が届くが、日本はこれを拒否 | |||||||
1125 | 金が遼を滅ぼす | |||||||
1127 | 金 | 南宋 | 金が北宋を滅ぼす | |||||
1170 | 高麗で鄭仲夫,李義方,李高らの武臣がクーデタを起こし実権掌握(武人政権の始まり) | |||||||
1170 | 後白河上皇と平清盛が宋人と会見 | |||||||
1172 | 宋の孝宗が後白河上皇と平清盛に国書を送る | |||||||
1185 | 鎌倉時代 | 源頼朝が守護・地頭の補任を勅許される | ||||||
1196 | 高麗で武臣の崔忠献が実権掌握 | |||||||
1221 | 後鳥羽上皇が北条義時追討の院宣を出し、朝廷と武家政権の間で戦いが起こる(承久の乱) | |||||||
1231 | モンゴルが高麗への侵攻開始(~1259) | |||||||
1234 | 元 | モンゴルが金を滅ぼし、華北を支配 | ||||||
1258 | 高麗王高宗が崔氏を倒し、太子倎をモンゴルに送る | |||||||
1259 | 高麗王高宗が没し、太子倎が即位(元宗) | |||||||
1268 | 高麗の使者がクビライの親書を大宰府に届けるが、日本は回答せず | |||||||
1271 | 珍島の三別抄から日本に援軍要請の書状が届く モンゴルが国号を元と定める 元の攻撃を受け、三別抄が済州島に移る |
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1273 | 4月、済州島の三別抄が元に鎮圧される | |||||||
1274 | 10月、元が第一次日本遠征(文永の役) | |||||||
1279 | 元が南宋を滅ぼす | |||||||
1281 | 6月、元が第二次日本遠征(弘安の役) | |||||||
1288 | 3月、元軍が陳興道(陳国峻)率いる大越国に敗北(バクダン江の戦い) | |||||||
1294 | 2月、クビライ没 | |||||||
1333 | 室町時代 | 鎌倉幕府が滅亡 | ||||||
1350 | 高麗で本格的な倭寇が始まる | |||||||
1366 | 高麗が日本に倭寇鎮圧を求める使者を送る | |||||||
1368 | 明 | 朱元璋が金陵(現在の南京)に都を定め、明を建国 | ||||||
1380 | 阿只抜都を首領とする倭寇が高麗を襲うが、李成桂らに討伐される | |||||||
1392 | 李氏朝鮮 | 李成桂が高麗の親元派を追放し、李氏朝鮮を建国 日本で南北朝が合体 |
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