2024-06-14(金)第09回

2024年度授業計画

1.合宿について

13:10~13:20 合宿の日程・担当者決定

2.共同研究

13:20~13:30 共同研究

3.輪読発表とグループワーク

13:30~14:00 輪読発表

【課題図書】Ⅲ 日本の成立と新羅・渤海――理念と現実

14:00〜14:20 グループワーク

  • 課題図書を読んで興味を感じたところ、疑問に思ったところ

14:20~14:50 補足説明

【参考資料】

  • 戦後の国宝第一号は made in Korea か?
    日韓交流の歴史と文化「三つの半跏思惟像」
  • 遣唐使は国書を持参したのか?
    古瀬奈津子「日本人と中国人の相互認識」(日中歴史共同研究 古代・中近世史 第三部 日中両社会の相互認識と歴史的特質の比較)
     日本の遣唐使が国書を持参したか、しなかったかについては議論がある。それは、日本と唐の間で交わされた国書が1通しか残されていないからである。その1通は、唐の文人政治家である張九齢の文集『唐丞相曲江張先生文集』巻七にある「日本国王に勅す書」である。唐の皇帝から外国に対して出される国書には3つの形式があったが、この「勅」の
    形式はもっとも格下の文書様式であった。また、冒頭が「勅す日本国王 主明楽美御徳」で始まっている。「主明楽御徳」は「スメラミコト」であり、天皇を意味する。このことは、唐に対して、日本が天皇号を君主号としては使用していなかったことを示す。「スメラミコト」という天皇の和名を、唐には日本国王の名前と受け取られる可能性を期待して使用したのではないかと考えられている
     一方、日本から唐皇帝への国書は1通も残されていない。日本からの国書は、臣下が皇帝に奉ずる上表形式であったと推測されている。日唐間で交わされた国書がほとんど残されていないのは、これらの国書の文書様式や内容が日本にとっては都合が悪いものであったために、日本国内では公にされることがなく、正史にも記録されなかったからだと考え
    られている
    〔注〕
    ⑴2005年4月の日中外相会談において、町村外務大臣(当時)が日中歴史共同研究を提案、2006年から2009年まで4回の全体会合が開かれ、2010年、両国委員による論文(報告書)が発表された。
    ⑵東野治之『遣唐使船ー東アジアのなかで』朝日新聞社、1999年
    ⑶同⑵

14:50~15:00 休憩

4.新聞発表

15:00~15:10 新聞発表

【新聞記事】

15:10〜15:20 グループワーク

  • 【映像資料】「アイたちの学校」(髙賛侑監督、朝鮮学校の歴史と現状を描いた長編ドキュメンタリー映画)→予告編
  • 朝鮮学校の所在地と学校数
    朝鮮学校‥各種学校57校(北海道1・宮城1・福島1・東京11・神奈川5・埼玉1・千葉1・茨城1・群馬1・栃木1・愛知5・静岡1・長野1・岐阜1・三重1・大阪5・兵庫6・京都3・滋賀1・和歌山1・広島1・岡山2・山口1・愛媛1・福岡3、休廃校を除く)
    〔参考〕韓国学校‥各種学校2校(東京1・大阪1)、一条校4校(大阪2・京都1・茨城1)の計6校
  • 公的な支援制度の適用状況
    高校無償化‥対象外、なお韓国学校は各種学校も対象
    〔参考〕文部科学省「高等学校等就学支援金制度の対象として指定した外国人学校等の一覧
    幼保無償化‥対象外
    地方自治体の助成金‥大阪や東京で支給凍結
    【映像資料】「朝鮮学校補助金・高校無償化問題」(ドキュメンタリー映画『アイたちの学校』より)
  • 生徒数
    朝鮮学校‥5223人(幼稚部から高級部までの合算)
  • 国際法上の問題点
    国際人権規約』‥1966年の第21回国連総会において採択され、1976年に発効。日本は1979年に批准。
    「市民的及び政治的権利に関する国際規約(B規約)」
    第二十七条 種族的、宗教的又は言語的少数民族が存在する国において、当該少数民族に属する者は、その集団の他の構成員とともに自己の文化を享有し、自己の宗教を信仰しかつ実践し又は自己の言語を使用する権利を否定されない。

朝鮮学校児童・生徒数の変遷(産経新聞2019年12月30日)


【新聞発表関連年表】

西暦 出来事
2010 3月、国連人種差別撤廃委員会が報告書を公表し、高校無償化制度から朝鮮学校を除外する動きについて「懸念」を表明
4月、民主党政権が高校無償化制度導入を決定
9月、石原慎太郎都知事が、北朝鮮による拉致被害者家族連絡会などの要請を受け、都内10校の朝鮮学校への「私立外国人学校教育運営費補助金支給凍結(約2400万円)
2011 3月、維新の会・松井一郎大阪府知事が、朝鮮学校への「大阪府外国人学校振興補助金」の支給凍結(約8400万円)
2012 9月、大阪の朝鮮学校が大阪府及び大阪市に対して補助金不交付処分の取消し及び補助金交付を求めて提訴(朝鮮学校補助金訴訟
12月、自民党第二次安倍晋三政権発足
2013 2月、政府が「拉致問題に進展がなく、朝鮮総連と密接な関係にある」として、高校無償化制度から朝鮮学校を対象外に
この年、朝鮮学校を高校無償化の対象外としたのは違法として、東京、大阪、名古屋、広島、福岡の朝鮮学校と生徒らが国に処分の取り消しと損害賠償を求めて提訴(朝鮮高校無償化訴訟
2014 4月、高等学校等就学支援金制度(高校無償化)開始
2016 3月、文科省が朝鮮学校を各種学校として認可している28都道府県に対して「朝鮮学校に係る補助金交付に関する留意点について(通知)」を発出
2018 11月、大坂の朝鮮学校補助金訴訟で、最高裁が学校側の上告を棄却、敗訴確定
2019 10月、幼児教育・保育の無償化(幼保無償化)事業開始、朝鮮学校を対象外に
2020 4月、私学の高等学校等就学支援金制度(高校無償化)の支給額を大幅拡大
2021 7月、広島の朝鮮高校無償化訴訟で、最高裁が学校側の上告を棄却。同種の5件の訴訟はいずれも学校側の敗訴確定

【輪読図書関連年表】

西暦 国・地域 出来事
中国
朝鮮
日本
57 後漢

馬韓 辰韓 弥生時代 倭の奴国王が後漢に朝貢し、「漢委奴国王」の金印を下賜される
220     曹丕が後漢の献帝から禅譲を受け、魏を建国
221 劉備が漢の正統を継ぐため、蜀を建国
229 孫権が皇帝に即位し、呉を建国
239 古墳時代 邪馬台国の卑弥呼が魏に朝貢
240 邪馬台国の卑弥呼が再び魏に上表
243 邪馬台国の卑弥呼が三たび魏に使節を派遣
245 魏が邪馬台国の卑弥呼に黄幢(軍旗)を下賜
247 魏が帯方郡から邪馬台国に張政を派遣
263   魏が蜀を滅ぼす
265   司馬炎が魏の曹奐から禅譲を受け、西晋を建国
266 邪馬台国の壱与が西晋に使いを送る
280 西晋 西晋が呉を滅ぼし、中国全土を統一
308



  西晋の懐帝が匈奴の首長劉聡に殺され、西晋が滅亡
313 高句麗が楽浪郡・帯方郡を滅ぼす
317 東晋 司馬睿が建業(現在の南京)で晋王朝を復興(東晋)
  百済 新羅 百済、新羅が建国
372 百済が東晋に入朝し、冊封を受ける
前秦から高句麗に僧が派遣され、仏像と経文を伝える
384 東晋から百済へ仏教が伝わる
391 倭が高句麗を攻撃(「広開土王碑」)
414 高句麗が好太王の事績を記念して広開土王碑を建立
420 劉裕が東晋の恭帝から禅譲を受けて、南朝宋を建国
439 北魏 北魏の太武帝が華北を統一
475   百済が漢山城(ソウル)から熊津城(公州)へ遷都
479 蕭道成が南朝宋の順帝から禅譲を受け、南朝斉を建国
502 蕭衍が南朝斉の和帝から禅譲を受け、南朝梁を建国
527 筑紫の国造磐井が反乱を起こす(磐井の乱)
529 倭が近江毛野を安羅国に派遣
532 金官国が新羅に降伏し、併合される
534 西魏 東魏 北魏が東魏と西魏に分かれる
538 百済が熊津城(公州)から泗泚城(扶余)へ遷都
百済の聖明王が欽明天皇に仏像や経典が送る(『上宮聖徳法王帝伝』による仏教公伝)
550 北斉 東魏の実権者高洋が北斉を建国
552 百済の聖明王が欽明天皇に仏像や経典が送る(『日本書紀』による仏教公伝)
554 百済の聖王が新羅との戦いで戦死
557 北周 西魏の実権者宇文氏が北周を建国
南朝梁の重臣陳霸先が敬帝から禅譲を受け、陳を建国
562 新羅が大加耶国を滅ぼし、加耶全体を併合(「任那」の滅亡)
570 高句麗が倭に初めて使者を送る
577   北周が北斉を滅ぼす
581 北周宣帝の外戚楊堅が政権を奪い、隋を建国
587 崇仏派の蘇我馬子らが廃仏派の物部守屋を討伐(丁未の乱
589   2月、隋が南朝陳を滅ぼし、中国全土を統一
592 飛鳥時代 推古天皇が即位し、明日香に都を置く
595 高句麗から慧慈が渡来し、聖徳太子の仏教・政治・外交のブレインとなる
596 蘇我氏が法興寺(現在の飛鳥寺)を建立(高句麗の建築様式の影響?)
598 隋の文帝が第一回高句麗遠征
600 第一回遣隋使派遣(『隋書』倭国伝)
倭が新羅に出兵
601 倭が高句麗・百済に使節を派遣して新羅攻撃を協議
607 第二回遣隋使派遣
608 隋が答礼使として裴世清を倭に派遣
裴世清を送るため、第三回遣隋使派遣。高向玄理、南淵請安、僧旻、倭漢福因、恵隠らを隋に留学させる
612 隋の煬帝が第二回高句麗遠征
613 隋の煬帝が第三回高句麗遠征
614 隋の煬帝が第四回高句麗遠征
618 李淵が隋を滅ぼして唐を建国
623   新羅から倭に仏像が送られ広隆寺に安置される(広隆寺の弥勒菩薩像か?)
630   倭が第一回遣唐使を派遣
632   第一回遣唐使犬上御田鍬を送って、高表仁が来日するが、礼を争って帰国
640   第二回遣隋使とともに渡海した高向玄理が、新羅を経て32年ぶりに帰国
642   高句麗で泉蓋蘇文がクーデターを起こす
百済の義慈王が新羅に侵攻
新羅が金春秋(のちの武烈王)を高句麗に派遣
643   新羅が唐に使者を送り、救援を要請
645   2月、唐の太宗が第一回高句麗遠征
6月、倭で蘇我入鹿が誅殺され(乙巳の変)、高向玄理と僧旻を国博士に任ずる
646   倭が高向玄理を新羅に派遣
647   新羅が金春秋(のちの武烈王)を倭に派遣
唐が第二回高句麗遠征
648   唐が第三回高句麗遠征
新羅が金春秋(のちの武烈王)を唐に派遣
649   新羅が唐の衣冠礼服の制度を採用
650   新羅が独自の年号を廃し、唐の年号を採用
651   新羅の貢調使が唐風の官服で来朝、大宰府は非礼として追い返す
653   倭が第二回遣唐使を派遣
654   倭が第三回遣唐使を派遣
新羅の武烈王(金春秋)即位
高向玄理
659   倭が第四回遣唐使を派遣、使節は長安に抑留される
660   唐・新羅連合軍が百済を攻撃、義慈王が降伏し百済滅亡
661   新羅の武烈王(金春秋)没
倭が百済の遺臣鬼室福信らの要請により、人質となっていた余豊璋を五千の兵をつけて帰国させる
663   倭が百済復興を支援するため、上毛野稚子を将軍とする二万七千の軍勢を派兵(白村江の戦
664   倭が対馬・壱岐・筑紫に防人と烽火を置く
665   倭が第五回遣唐使を派遣
668   唐・新羅連合軍の攻撃により高句麗滅亡
669   倭が第六回遣唐使を派遣(こののち33年にわたり遣唐使の派遣を中断)
670   新羅が旧百済領に侵攻し、朝鮮半島で羈縻政策を進める唐と対立(羈縻政策とは、帰順した諸民族地域に羈縻州を置き、都督府の督察下での自治を認める間接統治策)
672   倭で天智天皇の後継をめぐって内戦が起こり(壬申の乱)、勝利した大海人皇子が即位して天武天皇となり、皇后であとを継いだ持統天皇とともに唐の律令制度を導入
676 統一新羅 新羅が伎伐浦で唐軍を破り、旧百済領全域を支配し、唐の羈縻政策を排除
698 高句麗の遺民と靺鞨人が渤海を建国
702 倭が国号を日本と改め、第七回遣唐使を派遣
710 奈良時代 3月、元明天皇が藤原京から平城京へ遷都(奈良時代の始まり)
720 『日本書紀』が成立
753 遣唐大使の藤原清河が唐の朝廷での朝賀の際、新羅と席次を争う(争長事件
759 倭が新羅遠征を計画
779 天皇が「表を将たざるものの境に入ら使むべからず」という詔を出し、新羅の使節を追い返す(新羅との国交断絶
784 11月、桓武天皇が平城京から長岡京へ遷都
794 平安時代 10月、桓武天皇が長岡京から平安京へ遷都(平安時代の始まり)
828 新羅商人張保皐(790-841)が大宰府に来航
838 最後の遣唐使として、藤原常嗣や円仁らが渡唐
847 円仁が新羅の商船に乗って帰朝
892   後百済   甄萱が後百済を建国
901   弓裔が後高句麗を建国
907 五代十国時代 唐が滅ぶ
918 後高句麗で王建が王位を奪い、高麗を建国
922 後百済から使節が来朝するが、通交を拒否
926 渤海が契丹族に滅ぼされる
929 後百済から再び使節が来朝するが、通交を拒否
935   高麗が新羅を滅ぼす
936 高麗 高麗が後百済を滅ぼし、朝鮮半島を統一
937 高麗から使節が来朝するが、通交を拒否
939 日本で平将門の乱が起こる
高麗から再び使節が来朝するが、通交を拒否

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