亲爱的同学们,大家好!
今日は2年の荒井健が担当します、よろしくお願いします!😌
みなさんいかがお過ごしでしょうか?今日は「成長に付随した煩悩」をテーマに最近私が思うことを綴りたいと思います。この文を読み終わる頃には、みなさんはSAに来ないとできないような体験を私から聞き、あたかも自分が実際にそれを経験したかのように感じられることと思います。それではいってみましょう〜よろしくお願いします!📓
広辞苑や大辞泉で「成長」と調べると、「育って大きくなること」というふうに記載してあります。また、広辞苑等の辞書で定義されている「育つ」という意味の他にも、規模が大きくなることを「成長」と定義している国語辞典も散見されることを指摘しておきます。これらの情報から「成長」という言葉は本来、プラスの意味で使われることがメインであると言えます。逆に、マイナスな意味を含んで「成長」という言葉を使うことはあまり想定されていないと言えます。ただ私は今回「成長に付随した煩悩」という、あまりプラスの意味とは思えないことについて述べたいと思います。
はじめに成長と煩悩、これらの「相反する」と言っても過言ではない性質を帯びた2つの側面についてそれぞれ具体例をもとに述べます。
私はSAに来て以来、毎日中国語で中国語の授業を受け、病院や宿泊施設のフロントの方とのやりとりなどといった、ごく普通の会話も中国語を用いてしなければならない、いわば中国語漬けの環境に置かれています。そんな中で、私は私の中国語のレベルが今までにないほど急速に上昇していることが実感できます。以前は詰まっていたであろう病院での会話も、授業で習った表現を応用して円滑に進めることができるようになりましたし、訛りのあるネイティブスピーカーの中国語も聞き取れるようになってきたためです。
ですが、ここから「成長したが故の煩悩」に焦点を当てて話したいと思います。先述のように、授業で新たな語彙を多く身につけ、応用する機会も豊富に与えられており、尚且つ訛りのきついネイティブスピーカーの話も聞き取れるようになるということはつまり、外を歩けばどんな人がどんなことを言っていてもほぼ確実に聞き取れるようになるということです。一見、これは自身の言語技能がかなり上達した証拠であり、喜ぶべきことであると思われるでしょう。ですが、このことについて、私は自身の実体験から、必ずしも喜ぶべきことではないと気づきました。
街中を歩いていると、必ずしも周りにとって聞こえの良いことを言っている人ばかりだとは限りません。電話に向かって大声で暴言を吐いて相手を罵りまくっている人もいれば、誰かの陰口を平然と笑いながら口にしている人も見受けられます。これらのことを聞いて気持ちが良くなる人はいないと思います。私も気持ちは良くならないどころか、せっかくの外出を台無しにされた気になってしまうこともしばしばあります。
上述のことが、私の言う「成長に付随した煩悩」です。私は中国語の普通话(標準語)が話せること以外に上海话(上海の方言のようなもの)も話すことができます。すなわち、年齢を問わず生粋の上海育ちの方々が話す内容も聞き取ることができるので、聞き取って「しまう」内容も幅が広くなると言えます。
従って、街中を歩いていて周りの話が耳に入ってくると、不愉快に感じてしまうこともしばしばあるため、これを本日のテーマである「成長に付随した煩悩」として紹介させていただきました。
この日記を読んでくれている方にはさまざまな背景を持った方がいるかと思います。誰しもが共感できる話題ではなかったかもしれませんが、私の持った感想として、今日は紹介をさせていただきました。つまらないものだったかもしれませんが、ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。SAも残すところあと1ヶ月半になりました。9月13日に上海に降り立ったことが懐かしくも思われるようになった今日この頃、私は「今を生きること」の大切さを実感しています。私は残り少ない上海での留学生活を全力で楽しみ、これ以上悔いのないSAにしていきます。みなさんの留学生活も充実したものになりますように。
晩安💫
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