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日中交流の史跡と文化

【コラム】陳和卿とと河内の鋳物師たち

水島彩花  平安時代の末の1180年、平家の南都焼打により、奈良の町は焼け野原となり、奈良の大仏も頭や手が焼け落ちてしまいました。翌1181年、藤原行隆を勅使として破損状況の検分が行われましたが、同行した10余人の鋳師たちは「人力の及ぶとこ...
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第12回 元寇を止めようとした女真人

第12回 元寇を止めようとした女真人  唐王朝が滅んだ後、中国は征服王朝の時代を迎えます。契丹族の遼は中国の北辺、女真族の金は華北、モンゴル族の元はやがて中国全土を支配下に収めることになります。  こうした中、起こったのが元寇です。もっとも...
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【コラム】饅頭の話

【コラム】饅頭の話  落語に「饅頭こわい」という咄があります。町内の若い衆がいつものように話に花を咲かせていると、いつしか話題は怖いものに。ヘビだ、クモだという中、辰さん(上方落語ではみっつぁん)は意外なものを挙げます。それはなんと饅頭。日...
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【コラム】阿弖流爲と母禮の顕彰碑と音羽の滝

柳原瑚子 「そもそも当寺清水寺と申すは、大同二年の御草創、坂の上の田村丸の御願なり」  謡曲『田村』にも謡われているとおり、清水寺は坂上田村麻呂を本願主とする寺です。  平安時代に藤原明衡(989?-1066)が著した「清水寺縁起」によれば...
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第12回 海を渡った画家~雪舟

第12回 海を渡った画家~雪舟  9世紀末に遣唐使が廃止されて以降、500年続いた民間交流の時代は、明朝(1368~1644年)の成立によって幕を閉じます。モンゴルの支配を脱した明朝は、海外との交流を朝貢のみに限ったため、日中の交流も勘合符...
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【コラム】雪舟が中国留学で得たものとは?

【コラム】雪舟が中国留学で得たものとは?  雪舟の作品は、天橋立図、秋冬山水画、四季山水図巻、破墨山水図、慧可断臂図、山水図の計6作品が国宝指定されており、画家の中では最多です。重要文化財に指定されている作品も19点あります。  このように...
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第13回 倭寇と秀吉の朝鮮出兵

第13回 倭寇と秀吉の朝鮮出兵  14から16世紀にかけて、中国の人びとの対日イメージは大きく悪化します。その原因となったのが、倭寇と秀吉の朝鮮出兵です。  倭寇とは、日本を拠点とした武装集団で、中国や朝鮮半島の沿海部を襲っては、略奪を繰り...
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【コラム】耳塚に葬られた明の兵士たち

【コラム】耳塚に葬られた明の兵士たち  秀吉の朝鮮出兵は、朝鮮だけでなく、中国にも多大な被害を与えました。戦争にかかった費用は1,700万両余り1。当時の明朝の歳入は1,800万両余りといいますから2、歳入のほとんどが戦費に費やされたことに...
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第14回 東アジアの平和の礎となった思想―儒教

応仁の乱以来、100年以上続いた戦国時代。人びとは、秩序なき乱世に苦しんでいました。公家の家に生まれた藤原惺窩(ふじわら せいか)もその1人。惺窩は、18歳の時、土豪の襲撃により父と兄を失いました。1598年、秀吉の朝鮮出兵で日本に拉致され...
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【コラム】朱舜水が伝えた孔子像

【コラム】朱舜水が伝えた孔子像  東京の湯島聖堂に1体の孔子像があります。これは明の遺臣・朱舜水が中国から伝えたものといいます。では、なぜ湯島聖堂にこの孔子像があるのでしょうか。  九州の柳河藩に安東守約という儒官がいました。学問好きの彼は...