徴用工問題とは

日韓交流の歴史と文化

研究課題
 今年(2024年)2月17日、公益財団法人「新聞通信調査会」が世界5ケ国で実施した世論調査によれば、韓国で日本に対し「好感が持てる」と答えた人の割合は44%となり、2年連続で過去最高を記録したといいます。
 韓国の人々の対日感情が改善へと向かう中、いまも日韓関係に影を落としているのが、徴用工問題です。
 日本政府は、この問題は1965年の日韓請求権協定によって解決済みとの立場をとっていますが、韓国の大法院(日本の最高裁判所に当たる)は、2018年、元徴用工が新日本製鉄(現新日鉄住金)に賠償を求めた訴訟で、同協定では個人の請求権は消滅していないとの判断を示し、賠償を命じる判決を下しました。
 中国との日本企業との間で和解が成立しているのに、韓国と日本企業の間で和解が成立しないのはなぜなのでしょうか。

元号 西暦 朝鮮人・中国人労務者の動員
昭和12 1937 7月、盧溝橋事件をきっかけに、日中戦争開始
13 1938 4月、国家総動員法公布
14 1939 7月、国民徴用令が公布され、朝鮮人労務者の募集による動員開始
16 1941 2月、朝鮮人労務者の官斡旋による動員開始
19 1944 7月、内務省管理局から朝鮮に派遣された小暮泰用(権泰用)が復命書を提出(参考資料①)
9月、朝鮮人労務者の徴用による動員開始
20 1945 8月、終戦

内地移住労務者送出家庭の実状
 戦争に勝つためには‥‥多少困難な事情にあっても国家の至上命令に依って無理にでも内地へ送り出さなければならない今日である。然らば無理を押して内地へ送出された朝鮮人労務者の残留家庭の実状は果たして如何であらうか。一言を以て之れを言ふならば、実に惨憺目に余るものがあると云っても過言ではない。
 蓋し朝鮮人労務者の内地送出の実情に当っての人質的、掠奪的拉致等が朝鮮民情に及ぼす悪影響もさること乍ら、送出即ち彼等の家計収入の停止を意味する場合が極めて多い様である。

〔出典〕内務省管理局嘱託小暮泰用(権泰用)『復命書』(1942年)

元号 西暦 韓国元徴用工・女子挺身隊による訴訟と判決
昭和40 1965 6月、外交関係を樹立するための日韓基本条約の締結に際し、双方の債権・債務の関係を清算する日韓請求権協定を締結
平成9 1997 12月、日本製鉄大阪工場に動員された韓国人2人が国と新日鉄に謝罪と賠償を求めて大阪地裁に提訴(日鉄大阪製鐵所元徴用工損害賠償請求訴訟)
13 2001 3月、大阪地裁が日鉄大阪製鐵所元徴用工損害賠償請求訴訟で原告の請求を棄却
14 2002 11月、大阪高裁が日鉄大阪製鐵所元徴用工損害賠償請求訴訟で原告の請求を棄却
15 2003 10月、最高裁が日鉄大阪製鐵所元徴用工損害賠償請求訴訟で原告の請求を棄却
17 2005 2月、日本製鉄大阪工場に動員された韓国人5人が新日鉄住金に賠償を求めてソウル中央地方法院に提訴(新日鉄一次訴訟)
20 2008 4月、ソウル中央地方法院が新日鉄一次訴訟の請求を棄却
21 2009 7月、ソウル高等法院が新日鉄一次訴訟の控訴棄却
24 2012 5月、韓国大法院が新日鉄一次訴訟の原判決を破棄し、ソウル高等法院に差し戻し
25 2013 7月、ソウル高等法院が新日鉄一次訴訟の原告に一人当たり1億ウォンの損害賠償を認める判決
30 2018 10月、韓国大法院が新日鉄一次訴訟の原告勝訴確定

“強制連行”について
 各勧誘者らが本件勤労挺身隊員らに対して、欺罔あるいは脅迫によって挺身隊員に志願させたものと認められ、これは強制連行であったというべきである。

〔出典〕三菱名古屋・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟控訴審判決

日韓請求権協定と個人の請求権
「日韓請求権協定におきまして両国間の請求権の問題は最終かつ完全に解決したわけでございます。その意味するところでございますが、日韓両国間において存在しておりましたそれぞれの国民の請求権を含めて解決したということでございますけれども、これは日韓両国が国家として持っております外交保護権を相互に放棄したということでございます。したがいまして、いわゆる個人の請求権そのものを国内法的な意味で消滅させたというものではございません。日韓両国間で政府としてこれを外交保護権の行使として取り上げることはできない、こういう意味でございます。」

〔出典〕1991年3月27日第121回国会参議院予算委員会での柳井俊二外務省条約局長の答弁

元号 西暦 華人労務者による訴訟と判決
昭和12 1937 7月、盧溝橋事件をきっかけに、日中戦争開始
17 1942 11月、「華人労務者内地移入に関する件」が閣議決定
19 1944 8月、中国人の強制連行開始、45年5月までに計38,935人が日本国内135の事業場へ
20 1945 6月、鹿島組花岡出張所の中国人労務者986人が苛酷な労働条件に耐えかねて逃亡。逮捕後の拷問などにより12月までに400人以上が殺害される
8月、終戦
23 1948 3月、横浜でのBC級軍事裁判で、鹿島組と警察関係者に有罪判決
平成7 1995 6月、花岡事件の生存者・遺族が鹿島建設に賠償を求め、東京地裁に提訴(花岡事件裁判
9 1997 12月、東京地裁が花岡事件の生存者・遺族の請求を時効を理由に棄却
11 1999 9月、東京高裁が花岡事件の控訴審で、和解を勧告
12 2000 11月、東京高裁で花岡事件の和解が成立。被害者986人全員に和解金が支払われるよう中国紅十字会に5億円を信託
19 2007 4月、最高裁が西松建設裁判で裁判上の個人の請求権は日中共同声明により失われたとしながらも、「個人の実体的な請求権までは消滅していない」として、日本政府や企業に自主的解決の期待を表明
21 2009 10月、東京簡易裁判所で西松建設裁判の和解が成立、補償基金として2億5千万円を信託
28 2016 6月、三菱マテリアル裁判の和解が成立1

  1. 三菱マテリアル株式会社の前身である三菱鉱業株式会社及びその下請け会社は、3,765人の中国人労務者を受け入れ、この中722人が死亡。

参考資料

  1.  山本晴太ほか『徴用工裁判と日韓請求権協定』(現代人文社 2019年)→「日韓両国政府の日韓請求権協定解釈の変遷」(法律事務所の資料棚アーカイブ)
  2. 内務省管理局小暮泰用(権泰用)『復命書」(1942年)外務省外交史料館蔵→アジア歴史資料センターアーカイブ
  3. 日本戦後補償裁判総覧、徴用工事件大法院判決(法律事務所の資料棚

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