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日中交流の史跡と文化

第15回 唐通事

江戸時代、キリスト教の拡大を恐れた幕府は、1635年、海外渡航を全面的に禁止し、貿易港を長崎一港に定めました。いわゆる鎖国の始まりです。  翌36年には港の一角にポルトガル人を収容する出島が作られ、41年にポルトガル人を追放すると、平戸にあ...
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【コラム】唐人屋敷と興福寺・長崎新地中華街

【コラム】唐人屋敷と興福寺・長崎新地中華街  唐人屋敷とは、1689年(元禄2年)、江戸幕府が現在の長崎市館内町に設けた唐人(中国人)居住区のことです。その広さは約9400坪、竹垣と堀に囲まれたその敷地内では、約2000人の唐人が滞在してい...
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第16回 科学技術を伝える~『農政全書』と『天工開物』

「(日本との貿易で)中国人は砂糖で千パーセント儲け、オランダ人もほぼこれと同じくらいの利益を上げている」。モンテスキューが『法の精神』のなかでこう語ったように、江戸時代、鎖国政策による砂糖価格の高騰は、日本の経済を大きく圧迫していました。そ...
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【コラム】中国農書と勤勉革命

【コラム】中国農書と勤勉革命  戦国時代が終わり、太平の世が訪れると、日本では人口の大爆発が起こりました。江戸時代初めには1200万人ほどだった人口が、100年ほどの間に3000万人以上にまで増加したのです。当時日本は人口の8割以上が農民で...
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第17回 江戸時代の中国語ブーム

HSK(漢語水平考試)という中国政府公認の中国語能力試験があります。その受験者数は年々増加しているそうですが、実は江戸時代にも中国語ブームがありました。その火付け役となったのが、岡島冠山と荻生徂徠です。  冠山は、長崎の生まれ。少年時代、上...
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【コラム】バイリンガル狂言

【コラム】バイリンガル狂言  倭寇が猖獗を極めていた室町時代、日本の各地には、中国などから拉致されてきた人々が、労働力として駆使されていました。1420年、朝鮮から回礼使として日本を訪れた宋希璟は、日本滞在中、中国から拉致されてきた2人の人...
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【コラム】浮世草子『世間学者気質』と黄檗山萬福寺

鈴木靖  岡島冠山が京都に移り、唐話の教本を出版すると、京都でも中国語ブームが巻き起こりました。明和5年(1768)に出版された浮世草子『世間学者気質せけんがくしゃかたぎ』には、こうした中国語ブームを象徴するような人物が登場します。人物の名...
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【コラム】和砂糖問屋の石灯籠

【コラム】和砂糖問屋の石灯籠  江戸時代というと「鎖国」のイメージがありますが、実際には4つの窓口が開かれていました。対馬は朝鮮、薩摩藩は琉球、松前藩は蝦夷、長崎はオランダや清との貿易の窓口になっていました。  これらの窓口を通じて、日本か...
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第18回 荻生徂徠と清朝考証学

第18回 荻生徂徠と清朝考証学  講談に「徂徠とうふ」という話があります。豆腐屋に借金したり、おからをもらったりして暮らしていた荻生徂徠(1666-1728)が、柳沢吉保にその学問を買われて出世し、火事で焼け出された豆腐屋に金と新しい店を贈...
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【コラム】国学の誕生(作成中)

【コラム】国学の誕生  本居宣長は、伊勢松坂の商家に生まれました。京都で医術を学んだ彼は、松坂に帰って医業を行うかたわら、国学の研究に専念しました。江戸時代、朱子学が武士の官学として尊ばれる一方、庶民の間では日本の古典を通して民族の歴史や精...