【コラム】金錯銘鉄剣と中国系渡来人

日中交流の史跡と文化
さきたま古墳公園(中央が稲荷山古墳)

新井梨紗・清水玲奈

 稲荷山いなりやま古墳は、埼玉古墳群の中で最古の古墳で、その時期は5世紀頃とされています。墳丘は全長120メートル、高さ20メートルほどで、県内で3番目の規模を誇る前方後円墳です。墳丘の頂上に登ることができ、周囲の古墳を見渡せることで人気を集めています。
 1968年の発掘調査では、後円墳から2基の埋葬施設が見つかりました。その礫槨から発見されたのが金錯銘鉄剣きんさくめいてっけんです1
 この鉄剣は、誰が、何のために作ったのでしょうか。その謎を解く手がかりとなるのが、鉄剣の両面に鋳込まれた銘文です。銘文には、「乎獲居ヲワケ」という人物が、上祖「意富比垝オホヒコ」以来、8代にわたってヤマト王権の杖刀人首(ヤマト王権の武人頭)を務めたその家系と、「獲加多支鹵ワカタケル大王」に仕え、天下を治める手助けをした自らの事績が記されています。
 この銘文により、鉄剣を作らせた人物とその目的は分かるのですが、では誰がこの銘文を書いたのでしょう。これには、ヤマト王権に仕えた中国系渡来人が関わったのではないかと考えられます。
 銘文を書いた人物が中国系渡来人と考えられる理由は3つあります。1つ目は鉄剣に刻まれた文の書き方に中国系渡来人の特徴が見られること、2つ目は鉄剣が作られる以前から外交文書は中国系渡来人が書いていたと考えられること、3つ目は同じく「獲加多支鹵ワカタケル大王」の名が刻まれた熊本県江田船山えたふなやま古墳出土の鉄刀に、「(銘文の)書者は張安なり」と、中国系渡来人の名が見えることです。
 国宝にも指定されたこの鉄剣は、現在、埼玉県立さきたま史跡の博物館で実物を見ることができます。
 埼玉県立さきたま史跡の博物館では「古墳群ガイドツアー」も開催しています。学芸員が埼玉古墳群について解説をしながら古墳群を散策する無料のツアーで、事前予約なしで参加することができます。ぜひ稲荷山古墳を含む様々な古墳に対する理解を深めてみませんか。

稲荷山古墳と埼玉県立さきたま史跡の博物館
〒361-0025 埼玉県行田市埼玉4834
*JR行田駅又は秩父鉄道行田市駅から市内循環バス「さきたま古墳公園前」下車徒歩2分

江田船山古墳
〒861-0913 熊本県玉名郡和水町江田
☎0968-34-3047(和水町三加和公民館)

注釈

  1. 稲荷山古墳からは鉄剣以外にも次のようなものが出土しています。
    画文帯環状乳神獣鏡:中国の思想や世界観を表現した銅製の鏡で、裏面には様々な文様があります。外区には月と太陽と雲、内区には神獣や神仙が装飾されています。同じ文様の鏡は群馬県高崎市八幡観音塚古墳など、全国で6面が知られています。
    三環鈴:馬具の1つで現在でも軽やかな鈴の音を奏でます。
    竜文透彫帯金具:布製の帯の表面に取り付けて装飾するための金具です。これは帯を締める「鉸具」、帯の表面を飾る「銙板」、帯の先端に取り付けて留める「鉈尾」の3種類に分けられます。

参考資料

コメント