キョンナムさん、浜田桂子さんへの取材の報告
⑴アポ取り
⑵学部研究倫理委員会への申請
⑶取材の事前連絡(研究実施同意書の説明と質問事項の事前通知)
⑷取材のようす
⑸反省点や感想など
2.輪読発表とグループワーク
3.学会発表の準備
参考資料
台湾の世代 | 西暦 | 出来事 | |
日本統治時代 |
「アジアの孤児」世代1895-1920 |
1895 | 4月、日清戦争の講和条約(下関条約)により、台湾が日本に割譲される(台湾の植民地化) |
96 | 3月、六三法が公布され、台湾総督に行政と立法の権限が与えらえる | ||
98 | 台湾総督府が内地人(在台日本人)のための小学校と、台湾人のための公学校、先住民ための蕃人公学校を設置 | ||
1918 | 1月、米国のウィルソン大統領が民族自決主義を提唱 | ||
19 | 3月、朝鮮で三一独立運動が起こる 8月、朝鮮・台湾両総督府の官制改革を行い、総督を武官とする制限を廃止 10月、文官出身の台湾総督田健治郎が着任、内地延長主義を実施 |
||
「多桑」世代 |
22 | 台湾教育令が発布され、日本語能力を備えた台湾人生徒の入学資格制限を廃止(日台教学制度) | |
23 | 10月、葉盛吉が台南州新営郡(現台南市新営区)に生まれる | ||
36 | 正庁改善運動を契機として皇民化運動が始まる | ||
43 | 8月、黄氏鳳姿(1928~)『台湾の少女』を出版 | ||
45 | 8月、終戦 | ||
中華民国時代 |
「毋忘在莒」世代 |
10月、陳儀ら国民党政権台湾接収委員が日本植民地当局から施政権を引き継ぐ(台湾光復) | |
47 | 2月、国民党政府の不正・腐敗に対し、台湾人が暴動を起こす(2・28事件) | ||
48 | 5月、中華民国憲法の付属条項として動員戡乱時期臨時条款が公布され、憲法の諸制度が停止 | ||
49 |
5月、台湾全土に戒厳令発令、 |
||
52 | 4月、日本と台湾との間で講和条約が締結される(日華平和条約) | ||
54 | 9月、中国人民解放軍が金門島を砲撃(第一次台湾海峡危機) | ||
58 | 9月、中国人民解放軍が金門島を砲撃(第二次台湾海峡危機) | ||
「本土化」世代 |
71 | 10月、国連総会で中華人民共和国の国連代表権を認める案(アルバニア決議案)が可決される(台湾国連脱退) | |
72 | 9月、日中共同声明により日本と中華人民共和国が国交樹立(日中国交正常化)、日華平和条約は失効(日台断交) | ||
79 | 1月、アメリカが中華人民共和国と国交樹立(米中国交正常化) | ||
87 | 7月、蒋経国総統が38年続いた戒厳令解除 | ||
91 | 5月、李登輝総統が動員戡乱時期臨時条款廃止 | ||
94 | 5月、国民大会第4次臨時会で憲法が改正され、総統直接選挙を決定 | ||
「多元性」世代 |
96 | 7月、中国が台湾近海で大規模な実弾演習を実施(第三次台湾海峡危機) | |
96 | 3月、台湾初の住民による総統直接選挙が実施され、李登輝が再選 | ||
2000 | 3月、総統選挙で民進党の陳水扁候補が当選、半世紀以上に及んだ国民党支配が終わる(台湾初の政権交替) | ||
14 | 3月、国民党政府が中国と調印した「海峡両岸サービス貿易協定」をめぐる審議をきっかけに学生運動が起こる(ひまわり学生運動(「太陽花学運」) | ||
19 | 5月、立法院で同性婚を認める法案が可決 |
※「多桑」世代‥「多桑」は日本語の「とうさん」の音訳。日本統治時代の後半、内地延長主義から皇民化運動へと続く同化政策の中で、「国語」(日本語)教育を受け、「日本人」としてのアイデンティティーを植えつけれらた世代。戦後、「国語」(北京語)教育を受け、「中国人」としてのアイデンティティーを育んだ子供たちと、文化的な葛藤を持つようになった。
台湾映画「多桑」 | 台湾の脚本家、呉念眞の第1回監督作品。1994年公開。 1950年代末期、台湾北部の山間部にある金鉱で栄えた村、大山里。金鉱で働く連清科は、日本の統治下で日本人としての教育を受けた世代で、妻や幼い子供たちに日本語で“父さん”と呼ばせる程の日本びいきだった。 映画はそんな「多桑」世代の父の姿を、「毋忘在莒」世代の息子の目を通して描いた作品。 |
※「毋忘在莒」世代‥「毋忘在莒」は『呂氏春秋』直諫の中の言葉。紀元前7世紀に斉の国で起こった内乱のために、斉の公子小白は師の鮑叔牙とともに莒国に亡命した。公子小白は後年、斉に帰って君位を継ぎ、春秋時代の最初の覇者・斉の桓公となった。この言葉は、師の鮑叔牙が斉の桓公を戒めるために述べたもの。莒の国での亡命時代を忘れるなという意味だが、1949年、国共内戦に敗れ、台湾に亡命政権を樹立した蒋介石は、これを「反攻大陸」の旗印とした。その後、米国を中心とする自由主義圏と、旧ソ連を中心とする社会主義圏との対立(東西対立)が深まる中で、台湾はその最前線に立たされ、徹底した「国民教育」と「反共政策」を行うようになった。
台湾映画「皇天后土」 | 「皇天后土」(The Coldest Winter in Peking)白景瑞監督、中央电影公司、1981年公開。 中国大陸の文化大革命から四つの現代化までの20年あまりの動乱の時代を背景に、歴史に翻弄された家族三代の悲劇を描いた作品。文化大革命の実態をリアルに描いたために、香港でも1989年まで上映禁止となっていた。 |
コメント