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日中交流の史跡と文化

第17回 科学技術を伝える~『農政全書』と『天工開物』

第17回 科学技術を伝える~『農政全書』と『天工開物』  「(日本との貿易で)中国人は砂糖で千パーセント儲け、オランダ人もほぼこれと同じくらいの利益を上げている」。モンテスキューが『法の精神』のなかでこう語ったように、江戸時代、鎖国政策によ...
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【コラム】中国農書と勤勉革命

【コラム】中国農書と勤勉革命  戦国時代が終わり、太平の世が訪れると、日本では人口の大爆発が起こりました。江戸時代初めには1200万人ほどだった人口が、100年ほどの間に3000万人以上にまで増加したのです。当時日本は人口の8割以上が農民で...
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第18回 江戸時代の中国語ブーム

第18回 江戸時代の中国語ブーム  HSK(漢語水平考試)という中国政府公認の中国語能力試験があります。その受験者数は年々増加しているそうですが、実は江戸時代にも中国語ブームがありました。その火付け役となったのが、岡島冠山と荻生徂徠です。 ...
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【コラム】バイリンガル狂言

【コラム】バイリンガル狂言  倭寇が猖獗を極めていた室町時代、日本の各地には、中国などから拉致されてきた人々が、労働力として駆使されていました。1420年、朝鮮から回礼使として日本を訪れた宋希璟は、日本滞在中、中国から拉致されてきた2人の人...
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【コラム】浮世草子『世間学者気質』と黄檗山萬福寺

【コラム】浮世草子『世間学者気質』と黄檗山萬福寺  岡島冠山が京都に移り、唐話の教本を出版すると、京都でも中国語ブームが巻き起こりました。明和5年(1768)に出版された浮世草子『世間学者気質せけんがくしゃかたぎ』には、こうした中国語ブーム...
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【コラム】和砂糖問屋の石灯籠

【コラム】和砂糖問屋の石灯籠  江戸時代というと「鎖国」のイメージがありますが、実際には4つの窓口が開かれていました。対馬は朝鮮、薩摩藩は琉球、松前藩は蝦夷、長崎はオランダや清との貿易の窓口になっていました。  これらの窓口を通じて、日本か...
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第19回 荻生徂徠と清朝考証学

第19回 荻生徂徠と清朝考証学  講談に「徂徠とうふ」という話があります。豆腐屋に借金したり、おからをもらったりして暮らしていた荻生徂徠(1666-1728)が、柳沢吉保にその学問を買われて出世し、火事で焼け出された豆腐屋に金と新しい店を贈...
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【コラム】国学の誕生(作成中)

【コラム】国学の誕生  本居宣長は、伊勢松坂の商家に生まれました。京都で医術を学んだ彼は、松坂に帰って医業を行うかたわら、国学の研究に専念しました。江戸時代、朱子学が武士の官学として尊ばれる一方、庶民の間では日本の古典を通して民族の歴史や精...
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第20回 島津重豪と琉球王国

第20回 島津重豪と琉球王国  江戸時代、長崎とともに日中交流の懸け橋となっていたのが琉球王国です。  14世紀末、明の朝貢国となった琉球は、1609年、薩摩の侵攻を受け、その支配下に入ります。しかし薩摩がその実態を隠したために、琉球はその...
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【コラム】福州市と那覇市の交流

【コラム】福州市と那覇市の交流  沖縄に北山、中山、南山の三勢力が鼎立していた三山分立時代、中山王察度のもとに中国から使節が派遣されてきました。モンゴルの支配を脱し、明朝が開国したことを知らせる使節です。  察度はさっそく弟の泰期らを明に派...