第16回 科学技術を伝える~『農政全書』と『天工開物』

 「(日本との貿易で)中国人は砂糖で千パーセント儲け、オランダ人もほぼこれと同じくらいの利益を上げている」。モンテスキューが『法の精神』のなかでこう語ったように、江戸時代、鎖国政策による砂糖価格の高騰は、日本の経済を大きく圧迫していました。そこで幕府は1715年、砂糖の輸入を制限し、国産化を図ります。では、どのようにしてその技術を手に入れたのでしょうか。
 明朝最後の皇帝となった崇禎(すうてい)帝(在位1628~44年)は、前帝の時代に弾圧を受けていた東林学派の人材を登用し、彼らが唱える経世致用の学(世の中の役に立つ学問)による国の建て直しを図ります。
こうしたなか、中国の科学技術を集大成した書籍が相継いで出版されました。農業では徐光啓(じょこうけい)の『農政全書』(1639年刊)、工業では宋応星(そうおうせい)の『天工開物』(1637年刊)など。これらの書籍はいち早く日本にも輸入され、農業や工業の発展に役立てられました。
 本草学(ほんぞうがく)(植物や動物・鉱物など有用な天然資源の研究をする学問)の第一人者であった田村藍水は、砂糖の国産化のため、『農政全書』や『天工開物』をもとに、甘蔗の栽培から糖汁の圧搾、白砂糖や氷砂糖への加工法を研究し、1761年、ついにその製造に成功します。その成果は、弟子の平賀源内が1763年に出版した『物類品隲(ぶつるいひんしつ)』を通じて、世に広く紹介されました。
 『物類品隲』の面白いところは、江戸のエジソンと呼ばれる源内の書だけあって、道具の仕組みなどをより精密に描くとともに、ちょっとした遊び心も加えていることです。
 たとえば、甘蔗の圧搾機。源内の図は『天工開物』によるものですが、もとの図にはない歯車を描いて、2つのローラーが連動する仕組みを明らかにしています。
一方、図中の人物を見ると、丁髷(ちょんまげ)と和服姿に変わり、横に鳩溪山人(きゅうけいさんじん)自画と書かれています。鳩溪山人とは源内の号、ちゃっかり自画像に差し替えているのです。
 その後、藍水の研究は、武蔵の国の名主池上太郎左衛門幸豊(いけがみたろうざえもんゆきとよ)によって実用化され、幸豊は東北から九州まで131カ村を回って、農民たちにそのノウハウを伝えました。
 中国で集大成された科学技術の知識が、日本の砂糖の国産化を助けたのです。

▼軋蔗取漿圖((明)宋應星『天工開物』巻上)

▼軋蔗取漿圖(平賀源内『物類品隲』巻之六)

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