日中交流の史跡と文化

日中交流の史跡と文化

【コラム】鎌倉市川喜多映画記念館

新井梨紗 清水玲奈  中華電影設立の背景には、日中戦争がありました。戦争が始まった1937年には上海が日本に占領され、中国の映画の中心地であった上海では、抗日映画や日本に批判的な映画の制作は困難になっていきました。  1938年、日本で国家...
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第22回 憎しみの連鎖を断つために

戦中から戦後にかけて、アジア各地で日本の戦犯裁判が開かれました。被告の数は約5700人。このうち984人が死刑判決を受けました。  一方、1956年に中国で行われた裁判では、戦犯1017人中、起訴されたのは45人だけ。死刑判決を受けた者は1...
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【コラム】中国帰還者連絡会の結成

齋間葉月  1950年7月、ソ連のシベリアに抑留されていた日本人捕虜969名1が、建国して間もない中国に引き渡されました。彼らが収容されたのは、撫順にある戦犯管理所でした。  捕虜ではなく、戦犯として収容されたことを知った彼らは、ひどく動揺...
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第23回 誤訳を越えた友好

1972年、田中角栄首相が、国交正常化交渉のために訪中した時のこと。歓迎晩餐会でのスピーチで、田中首相は過去の歴史について、こう謝罪しました。  「過去数十年にわたって、日中関係は遺憾ながら不幸な経過を辿(たど)って参りました。この間、我が...
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【コラム】饅頭の話

鈴木靖  落語に「饅頭こわい」という咄があります。町内の若い衆がいつものように話に花を咲かせていると、いつしか話題は怖いものに。ヘビだ、クモだという中、辰さん(上方落語ではみっつぁん)は意外なものを挙げます。それはなんと饅頭。日ごろ辰さんに...