合宿の目的
古代における倭と東アジアの関係は、倭の王たちが造った宮からも伺うことができます。今回の合宿では、飛鳥時代の宮跡を訪ね、なぜそのとき、そのような宮が造られたのかを考えてみましょう。
飛鳥時代―東アジアの大統一時代の中で
589年、隋が270年ぶりに中国全土を統一し、東アジアの大統一時代が始まりました。676年には、3国に分かれていた朝鮮半島も、新羅によって統一されます。こうした切迫した国際情勢に対応して始まったのが、593年から710年まで続いた飛鳥時代です。
598年、隋は高句麗への遠征を開始します。これに危機感を覚えた倭は600年、隋との関係構築のため第1回遣隋使を派遣します。
古墳時代、東漢氏などの渡来人を配下に収めたヤマト王権は、九州から北関東までをその勢力下に収めていました。6世紀の欽明天皇の時代には、百済と太いパイプを持つ蘇我氏と姻戚関係を結び、587年、保守勢力であった物部氏を滅ぼし(丁未の乱)、中国や百済の職工を招いて飛鳥寺(法興寺)を建立します。そして東アジアの世界宗教となっていた仏教思想の導入し、595年には高句麗僧の慧慈、百済僧の慧聡らをこの寺に迎えて、中国大陸や朝鮮半島の情勢の把握に努めていたのです。
592年、即位した推古天皇は、はじめ母方の蘇我氏の屋敷(向原家)を宮としていました(豊浦宮)。しかし603年、雷丘の麓に新たな宮を造り(小墾田宮)、608年、隋からの使節裴世清らをこの宮で迎えます。あの謎の謁見を行った宮です(→【コラム】遣隋使の謎)。
618年、隋は滅亡し、唐が建国します。629年に即位した舒明天皇は、唐との関係構築のため、翌630年、第1回遣唐使を派遣します。舒明天皇は即位とともに宮も新築しました(飛鳥岡本宮)。当時の宮は、寺院のような瓦屋根ではなく、神社のような檜皮葺や茅葺で、柱も礎石のない掘っ建て柱だったため、耐久性は高くありません。そこで天皇の代替わりごとに、新たな宮を造っていたのです。632年、舒明天皇はこの宮で唐からの最初の使節高表仁らを迎えます。しかし高表仁と礼を争ったために、最初の外交交渉は失敗に終わってしまいました。
641年、舒明天皇が崩御すると、643年、皇極天皇はまた新たな宮を造ります(飛鳥板蓋宮)。645年、中大兄皇子らが乙巳の変で蘇我入鹿を誅殺した宮です。
蘇我氏の勢力が排除された後、皇極天皇から譲位を受けた孝徳天皇は、港に近い難波に宮を造り(難波長柄豊崎宮)、653年、654年とたてつづけに遣唐使を派遣します。654年、孝徳天皇が崩御すると、皇極天皇は飛鳥板蓋宮で再び即位し、斉明天皇となります。斉明天皇も659年、遣唐使を派遣しますが、翌660年、唐と新羅の連合軍が百済を滅ぼすと、朝鮮半島の情勢に危機感を抱き、百済の復興を支援します。661年、斉明天皇が崩御すると、皇太子の中大兄皇子は、663年、朝鮮半島に大軍を派遣しました(白村江の戦い)。
古代最大の海外派兵となったこの戦いは、倭の大敗に終わりました。その後、朝鮮半島では、668年に唐が高句麗を滅ぼし、676年には新羅が唐の勢力を排除して朝鮮全土を統一しました(統一新羅)。
一方、白村江の戦いで大敗を喫した中大兄皇子(天智天皇)は、唐や新羅の逆襲を恐れ、667年、宮を飛鳥から近江に遷します(近江大津宮)。しかし672年、天智天皇が崩御すると、皇位継承をめぐって内乱(壬申の乱)が起こり、この戦いに勝利した弟の大海人皇子(天武天皇)は、宮を飛鳥にもどしました(飛鳥浄御原宮)。そして遣唐使の派遣を一時中断すると、后の持統天皇とともに、唐の制度や文化に倣った大改革を始めます。その集大成として造られたのが、唐風の条坊制を導入した日本最初の都城藤原京です。
702年、一連の改革を終えた倭は、国号も日本と改め、30年ぶりに遣唐使の派遣を再開します。こうして飛鳥時代はその歴史的使命を終え、新たな時代――奈良時代へとバトンを渡したのです。
第1部 漢族系渡来人東漢氏の本拠地檜前を訪ねる
▶8:00 奈良ユースホステル発
▶8:12 市営球場発→奈良交通バス→8:25 近鉄奈良駅着
▶8:29 近鉄奈良駅発→(2番線)近鉄奈良線区間準急→8:35 大和西大寺駅着
▶8:48 大和西大寺駅発→(1番線)近鉄橿原線急行→9:17 橿原神宮前駅着
▶9:31 橿原神宮前駅発→(5番線)近鉄橿原線急行→9:35 飛鳥駅着
9:40 明日香レンタサイクルで自転車をレンタル
【所在地】〒634-0131 奈良県明日香村大字御園138-6
【電 話】0744-54-3919(代)
【利用料】電動自転車 1,700円+乗り捨て料金200円(200円割引クーポンあり)
▶︎10:00 近鉄飛鳥駅→自転車 1.3Km→10:10 於美阿志神社
10:10 於美阿志神社(檜隈寺跡)
【所在地】〒634-0135 奈良県高市郡明日香村檜前594
【解 説】檜隈は、漢族系渡来人の一集団である東漢氏が、第15代応神天皇(母は神功皇后)から賜ったという本拠地。於美阿志神社は東漢氏の祖神を祀る神社で、かつてここには東漢氏の氏寺である檜隈寺があった。ヤマト王権は、文武に長けた東漢氏を配下に収め、その権力を拡大していった。
▶︎10:20 於美阿志神社→自転車 1.0Km→10:25 高松塚古墳
10:25 高松塚古墳・高松塚壁画館(観覧料:大学生 130円)→【映像】高松塚古墳(橿考研チャンネル)
【所在地】〒634-0144 奈良県高市郡明日香村大字平田439
【電 話】0744-54-3340
【解 説】高松塚古墳は、飛鳥時代末の藤原京期(694年~710年)に造られた直径23mの二段式円墳。1972年の調査で彩色壁画が発見され、74年に国宝に指定された。高松塚壁画館にはその全貌が複製画や出土品のレプリカなどで再現されている。
▶︎11:15 高松塚古墳→自転車 1.0Km→11:20 欽明天皇陵
11:20 欽明天皇陵(梅山古墳)
【所在地】奈良県高市郡明日香村平田43‐1
【解 説】欽明天皇(在位539〜571)は、第29代天皇。石姫皇女との間に第30代敏達天皇を儲けたほか、蘇我稲目の娘・堅塩媛との間に第31代用明天皇と第33代推古天皇、小姉君との間に第32代崇峻天皇と穴穂部皇子・穴穂部間人皇女を儲けた。厩戸皇子(聖徳太子)の祖父でもある。蘇我氏と強い姻戚関係を結び、東アジアの世界宗教となっていた仏教を受け入れるなどの開化政策を進めたため、物部氏など保守勢力の反発を招いた。
第2部 飛鳥時代の遺跡を訪ねる
▶︎11:30 欽明天皇陵→自転車 2.9Km→11:50 豊浦休憩所
11:50 豊浦休憩所(5分間休憩)
▶︎11:55 豊浦休憩所→徒歩 0.3Km→12:00 向原寺(豊浦宮跡)
12:00 向原寺(豊浦宮跡)
【所在地】奈良県高市郡明日香村豊浦630
【解 説】推古天皇の母方の祖父・蘇我稲目の向原家の所在地。592年(崇峻5年)、崇峻天皇が蘇我馬子の命を受けた東漢駒に弑されると、推古天皇は母方の蘇我氏の本拠地である向原の家で即位した。これが飛鳥時代の最初の宮・豊原宮である。
▶12:10 向原寺→徒歩 0.3Km→12:15 豊浦休憩所
▶12:15 豊浦休憩所→自転車 0.5Km→12:20 雷丘
12:20 雷丘(小墾田宮)
【解 説】600年、第1回遣隋使を派遣した推古天皇は、隋からの使節を迎えるため、603年(推古11年)、小墾田宮を建造し、ここに宮を遷した。同年、ここで冠位十二階、翌604年(推古12年)十七条憲法を制定するなどの制度改革を行い、608年(推古16年)、第2回遣隋使とともに来朝した隋からの使節・裴世清らを謁見した。(ただし、中国側の記録によれば、倭王は男性だったという)
▶12:25 雷丘→自転車 0.9Km→12:30 飛鳥寺
12:30 飛鳥寺(法興寺)→【映像】飛鳥寺(考古学チャンネル)
【所在地】明日香村飛鳥
【解 説】596年(推古天皇4年)に完成した蘇我氏の氏寺。595年(推古天皇3年)には高句麗の僧慧慈と百済僧の慧聡、609年(推古天皇17年)には百済僧の道欣ら11人、625年(同33年)には高句麗僧の慧灌、ついで呉人僧の福亮、智蔵などが渡来。仏教を通じた文化交流の拠点であった。
▶12:50 飛鳥寺→自転車 1.7Km→13:00 農村レストラン夢市茶屋
13:00 農村レストラン夢市茶屋で昼食(40分休憩)
【所在地】〒634-0112 奈良県高市郡明日香村島庄154−3−154−3
【電 話】0744-54-9450
▶13:40 農村レストラン夢市茶屋→徒歩 0.1Km→13:45 石舞台古墳
13:45 石舞台古墳→【映像】石舞台古墳(考古学チャンネル)
【所在地】明日香村島庄
【解 説】古墳時代後期の古墳。盛り土がないため墳形は不明だが、南北約83メートル、東西81メートルの外提をもつ。蘇我馬子の墓とする説が有力である。
▶14:05 石舞台古墳→徒歩 0.1Km→14:10 農村レストラン夢市茶屋
▶14:10 農村レストラン夢市茶屋→自転車 0.7Km→14:15 都塚古墳
14:15 都塚古墳
【所在地】
【解 説】東西41メートル・南北42メートルの方墳。2014年に関西大学などが行った調査で、墳丘は高句麗や百済の階段状積石塚に類似したピラミッド状の積み石がなされていることがわかった。築造時期が石舞台古墳よりやや古いところから、蘇我馬子の父・蘇我稲目の墳墓とする説がある。
▶14:25 都塚古墳→自転車 1.7Km→14:35 飛鳥宮跡休憩所
14:40 飛鳥宮(飛鳥板蓋宮・飛鳥浄御原宮)→【映像】飛鳥宮(橿考研チャンネル)
【所在地】〒634-0111 奈良県高市郡明日香村岡
【解 説】飛鳥板蓋宮は、645年(皇極天皇4年)、乙巳の変(大化の改新)で中大兄皇子らが蘇我入鹿を誅殺した舞台。この事件の後、皇極天皇は弟の孝徳天皇に譲位し、孝徳天皇は難波長柄豊崎宮(現大阪市中央区)に遷都した。しかし653年、皇極天皇と中大兄皇子らは孝徳天皇を残して飛鳥に戻り、654年、孝徳天皇が崩御すると、皇極天皇は飛鳥板蓋宮で重祚して斉明天皇となった。660年、百済が唐と新羅の連合軍に滅ぼされると、斉明天皇は筑紫の朝倉宮に遷り、百済復興を支援しようとした。661年、斉明天皇は崩御したが、663年、中大兄皇子は白村江の戦いで大敗を喫した。唐や新羅の逆襲を恐れた中大兄皇子は、飛鳥の地を離れて、近江大津宮を造り、即位して天智天皇となった。671年、天智天皇が崩御すると、皇位継承をめぐって内乱が起こり(壬申の乱)、勝利した天武天皇は、飛鳥浄御原宮を造り、后の持統天皇とともに唐の制度に倣った大規模な制度改革を進めた。
▶15:00 飛鳥宮→自転車 3.9Km→15:30 藤原京跡
15:20 藤原京跡
【解 説】
▶15:40 藤原京跡→自転車 0.3Km→15:50 橿原市藤原京資料室
15:50 橿原市藤原京資料室
▶16:10 橿原市藤原京資料室→自転車 3Km→16:20 明日香レンタサイクル橿原神宮駅前店
16:20 明日香レンタサイクル橿原神宮駅前店(電動自転車を乗り捨て返却)
▶16:33 橿原神宮駅発→2番線 近鉄橿原線急行京都行→17:07 大和西大寺駅着
▶17:17 大和西大寺駅発→2番線 近鉄奈良線急行近鉄奈良行→17:23 近鉄奈良駅着
▶17:35 近鉄奈良駅発→ 高天町北出口13のりば 奈良交通バス→17:41 市営球場着
17:42 奈良ユースホステル着
西暦 | 和暦 | 出来事 | ||
552 | 欽明天皇13 | 百済の聖王(聖明王)の使者が仏像と経論数巻を献じる | ||
587 | 用明天皇2 | 5月、用明天皇崩御 6月、蘇我馬子が物部守屋が擁立しようとした穴穂部皇子を誅殺 7月、蘇我馬子が泊瀬部皇子(のちの崇峻天皇)、厩戸皇子とともに物部守屋の館(河内国渋川郡=現大阪府東大阪市衣摺)を襲い、守屋を殺害(丁未の乱) 9月、蘇我馬子が崇峻天皇を擁立 |
||
592 | 崇峻天皇5 | 10月、蘇我馬子が東漢駒に命じて崇峻天皇を暗殺 | ||
飛鳥時代 | 豊浦宮 | 593 | 推古天皇元 | 4月、推古天皇が豊浦宮で即位 5月、甥の厩戸皇子(聖徳太子)を皇太子として国政を委ねる |
595 | 3 | 高句麗から慧慈、百済から慧聡が渡来し、厩戸皇子の師となる | ||
596 | 4 | 11月、法興寺(飛鳥寺)が完成、仏教を通じた国際交流の拠点となる | ||
598 | 6 | 隋が高句麗に侵攻(第1回) | ||
600 | 8 | 第1回遣隋使派遣(『隋書』倭国伝) | ||
小墾田宮 | 603 | 11 | 推古天皇、小墾田宮を造り、遷都 | |
607 | 15 | 第2回遣隋使派遣(『日本書紀』) | ||
608 | 16 | 倭王タリシヒコが裴世清ら隋の使節を迎える(『隋書』倭国伝) 第3回遣隋使派遣、渡来人の子弟を留学生として派遣 |
||
618 | 26 | 隋が滅亡 | ||
626 | 34 | 6月、蘇我馬子没 | ||
飛鳥岡本宮 | 630 | 舒明天皇2 | 第1回遣唐使を派遣 10月、飛鳥岡本宮に遷宮 |
|
632 | 4 | 10月、第1回遣唐使が唐使の高表仁とともに帰朝 | ||
633 | 5 | 1月、唐使の高表仁らが帰国 | ||
636 | 8 | 6月、飛鳥岡本宮が焼失 | ||
飛鳥板蓋宮 | 643 | 皇極天皇2 | 4月、飛鳥板蓋宮へ遷宮 | |
645 | 4 | 6月、蘇我入鹿、飛鳥板蓋宮で暗殺され(乙巳の変)、皇極天皇の譲位を受け、孝徳天皇が即位 12月、孝徳天皇、難波長柄豊崎宮に遷宮 |
||
難波宮 | 653 | 中大兄皇子が皇祖母(皇極天皇)らを連れて飛鳥河辺行宮に帰る | ||
654 | 11月、孝徳天皇崩御 | |||
川原宮 | 655 | 斉明天皇1 | 皇極天皇、重祚して斉明天皇に 飛鳥板蓋宮が焼け、飛鳥川原宮に移る |
|
飛鳥岡本宮 | 656 | 2 | 飛鳥岡本宮へ遷宮 | |
660 | 6 | 唐・新羅連合軍が百済を滅ぼす | ||
661 | 7 | 7月、斉明天皇崩御 | ||
663 | 天智天皇2 | 8月、白村江で唐・新羅の連合軍に大敗する(白村江の戦い) | ||
664 | 3 | 4月、唐の郭務悰、元百済の佐平・禰軍らが対馬に到着 | ||
665 | 4 | 9月、唐の劉徳高、郭務悰、元百済の佐平・禰軍ら254人が筑紫に到着 | ||
近江大津宮 | 667 | 6 | 3月、天智天皇、近江大津宮に遷宮 | |
671 | 10 | 11月、唐の郭務悰ら2000人の兵が筑紫に駐留 | ||
672 | 天武天皇元 | 1月、天智天皇崩御 6月、天智天皇の太子・大友皇子に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が挙兵(壬申の乱) |
||
飛鳥浄御原宮 | 673 | 2 | 2月、大海人皇子、飛鳥浄御原宮を造営し即位 | |
686 | 朱鳥元 | 10月、天武天皇崩御 | ||
690 | 持統天皇4 | 2月、持統天皇、即位 | ||
藤原宮 | 694 | 8 | 持統天皇、飛鳥浄御原宮から藤原京へ遷都 | |
697 | 文武天皇元 | 8月、持統天皇、孫の文武天皇に譲位 | ||
710 | 和銅3 | 3月、元明天皇、藤原京から平城京へ遷都 |
参考資料
- 明日香村観光マップ
- 【いよいよ飛鳥へ】古代史好き外国人が日本の古代遺跡を巡ると…!!!(スキマにヒストリア Youtube)
- 【古代ミステリー】飛鳥時代とは一体どんな時代だったのか?|始まりから終わりまでわかりやすく解説!(スキマにヒストリア Youtube)
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