目的
日本の発祥の地となった明日香地方を訪れ、古墳時代から飛鳥時代にかけての日中文化交流の遺跡を見学する。
日程
第1部 漢族系渡来人東漢氏の本拠地檜前を訪ねる
▶8:00 奈良ユースホステル発
▶8:12 市営球場発→奈良交通バス→8:25 近鉄奈良駅着
▶8:29 近鉄奈良駅発→(2番線)近鉄奈良線区間準急→8:35 大和西大寺駅着
▶8:48 大和西大寺駅発→(1番線)近鉄橿原線急行→9:17 橿原神宮前駅着
▶9:31 橿原神宮前駅発→(5番線)近鉄橿原線急行→9:35 飛鳥駅着
9:40 明日香レンタサイクルで自転車をレンタル
【所在地】〒634-0131 奈良県明日香村大字御園138-6
【電 話】0744-54-3919(代)
【利用料】電動自転車 1,700円+乗り捨て料金200円(200円割引クーポンあり)
▶︎10:00 近鉄飛鳥駅→自転車 1.3Km→10:10 於美阿志神社
10:10 於美阿志神社(檜隈寺跡)
【所在地】〒634-0135 奈良県高市郡明日香村檜前594
【解 説】檜隈は、漢族系渡来人の一集団である東漢氏が、第15代応神天皇(母は神功皇后)から賜ったという本拠地。於美阿志神社は東漢氏の祖神を祀る神社で、かつてここには東漢氏の氏寺である檜隈寺があった。
▶︎10:20 於美阿志神社→自転車 1.0Km→10:25 高松塚古墳
10:25 高松塚古墳・高松塚壁画館(観覧料:大学生 130円)
【所在地】〒634-0144 奈良県高市郡明日香村大字平田439
【電 話】0744-54-3340
【解 説】高松塚古墳は、飛鳥時代末の藤原京期(694年~710年)に造られた直径23mの二段式円墳。1972年の調査で彩色壁画が発見され、74年に国宝に指定された。高松塚壁画館はその全貌を複製画や出土品のレプリカなどでわかりやすく再現した施設。
▶︎11:15 高松塚古墳→自転車 1.0Km→11:20 欽明天皇陵
10:55 欽明天皇陵
【所在地】奈良県高市郡明日香村平田43‐1
【解 説】欽明天皇(在位539〜571)は、第29代天皇。石姫皇女との間に第30代敏達天皇を儲けたほか、蘇我稲目の娘・堅塩媛との間に第31代用明天皇と第33代推古天皇の兄妹、小姉君との間に第32代崇峻天皇と穴穂部皇子・穴穂部間人皇女を儲けた。厩戸皇子(聖徳太子)の祖父でもある。蘇我氏と強い姻戚関係を結び、東アジアの世界宗教となっていた仏教を受け入れるなどの開化政策を進めたため、物部氏など保守勢力の反発を招いた。
第2部 飛鳥時代の遺跡を訪ねる
▶︎11:30 欽明天皇陵→自転車 2.9Km→11:50 豊浦休憩所
11:50 豊浦休憩所(5分間休憩)
▶︎11:55 豊浦休憩所→徒歩 0.3Km→12:00 向原寺(豊浦宮跡)
12:00 向原寺(豊浦宮跡)
【所在地】奈良県高市郡明日香村豊浦630
【解 説】推古天皇の母方の祖父・蘇我稲目の向原家の所在地。592年(崇峻5年)、推古天皇はここで即位し、飛鳥時代が始まった。
▶12:10 向原寺→徒歩 0.3Km→12:15 豊浦休憩所
▶12:15 豊浦休憩所→自転車 0.5Km→12:20 雷丘
12:20 雷丘(小墾田宮)
【解 説】603年(推古11年)、推古天皇は豊浦宮から小墾田宮に遷宮した。608年(推古16年)、倭王タリシヒコはここで隋からの使節・裴世清らを迎えた*。
*【コラム】遣隋使の謎
▶12:25 雷丘→自転車 0.9Km→12:30 飛鳥寺
12:30 飛鳥寺
【所在地】明日香村飛鳥
【解 説】596年(推古天皇4年)に完成した蘇我氏の氏寺。595年(推古天皇3年)には百済僧慧聡、609年(推古天皇17年)には百済僧の道欣ら11人、623年(同31年)には高句麗僧の慧慈、625年(同33年)には高句麗僧の慧灌、ついで呉人の僧福亮、智蔵などが渡来。仏教を通じた文化交流の拠点であった。
▶12:50 飛鳥寺→自転車 1.7Km→13:00 農村レストラン夢市茶屋
13:00 農村レストラン夢市茶屋で昼食(40分休憩)
【所在地】〒634-0112 奈良県高市郡明日香村島庄154−3−154−3
【電 話】0744-54-9450
▶13:40 農村レストラン夢市茶屋→徒歩 0.1Km→13:45 石舞台古墳
13:45 石舞台古墳
【所在地】明日香村島庄
【解 説】古墳時代後期の古墳。盛り土がないため墳形は不明だが、南北約83メートル、東西81メートルの外提をもつ。蘇我馬子の墓とする説が有力である。
▶14:05 石舞台古墳→徒歩 0.1Km→14:10 農村レストラン夢市茶屋
▶14:10 農村レストラン夢市茶屋→自転車 0.7Km→14:15 都塚古墳
14:15 都塚古墳
【所在地】
【解 説】東西41メートル・南北42メートルの方墳。墳丘は高句麗の階段状積石塚*に類似したピラミッド状の積み石がなされている。築造時期が石舞台古墳よりやや古いところから、蘇我馬子の父・蘇我稲目の墳墓とする説がある。
*世界遺産「古代高句麗王国の首都と古墳群」
▶14:25 都塚古墳→自転車 1.7Km→14:40 飛鳥宮跡
14:40 飛鳥宮(飛鳥板蓋宮・飛鳥浄御原宮)
【所在地】〒634-0111 奈良県高市郡明日香村岡
【解 説】飛鳥板蓋宮は、645年(皇極天皇4年)、乙巳の変(大化の改新)で蘇我入鹿が誅殺された舞台。飛鳥浄御原宮は、古代史最大の内戦・壬申の乱に勝利した天武天皇が造営し、天武・持統の両代に唐の制度に倣って制度改革を進めた宮。
▶15:00 飛鳥宮→自転車 3.9Km→15:30 藤原京跡
15:20 藤原京跡
▶15:40 藤原京跡→自転車 0.3Km→15:50 橿原市藤原京資料室
▶16:10 橿原市藤原京資料室→自転車 3Km→16:20 明日香レンタサイクル橿原神宮駅前店
16:20 明日香レンタサイクル橿原神宮駅前店(電動自転車を乗り捨て返却)
▶16:33 橿原神宮駅発→2番線 近鉄橿原線急行京都行→17:07 大和西大寺駅着
▶17:17 大和西大寺駅発→2番線 近鉄奈良線急行近鉄奈良行→17:23 近鉄奈良駅着
▶17:35 近鉄奈良駅発→ 高天町北出口13のりば 奈良交通バス→17:41 市営球場着
17:42 奈良ユースホステル着
西暦 | 和暦 | 出来事 | ||
552 | 欽明天皇13 | 百済の聖王(聖明王)の使者が仏像と経論数巻を献じる | ||
587 | 用明天皇2 | 5月、用明天皇崩御 6月、蘇我馬子が物部守屋が擁立しようとした穴穂部皇子を誅殺 7月、蘇我馬子が泊瀬部皇子(のちの崇峻天皇)、厩戸皇子とともに物部守屋の館(河内国渋川郡=現大阪府東大阪市衣摺)を襲い、守屋を殺害(丁未の乱) 9月、蘇我馬子が崇峻天皇を擁立 |
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592 | 崇峻天皇5 | 10月、蘇我馬子が東漢駒に命じて崇峻天皇を暗殺 | ||
飛鳥時代 | 豊浦宮 | 593 | 推古天皇元 | 4月、推古天皇が豊浦宮で即位 5月、甥の厩戸皇子(聖徳太子)を皇太子として国政を委ねる |
596 | 4 | 11月、法興寺(飛鳥寺)が完成 | ||
小墾田宮 | 603 | 11 | 推古天皇、小墾田宮を造営し遷宮 | |
608 | 16 | 倭王タリシヒコが裴世清ら隋の使節を迎える(『隋書』倭国伝) | ||
626 | 34 | 6月、蘇我馬子没 | ||
飛鳥岡本宮 | 630 | 舒明天皇2 | 10月、飛鳥岡本宮に遷宮 | |
632 | 4 | 8月、唐使の高表仁らが来朝 | ||
633 | 5 | 1月、唐使の高表仁らが帰国 | ||
636 | 8 | 6月、飛鳥岡本宮が焼失 | ||
飛鳥板蓋宮 | 643 | 皇極天皇2 | 4月、飛鳥板蓋宮へ遷宮 | |
645 | 4 | 6月、蘇我入鹿、飛鳥板蓋宮で暗殺され(乙巳の変)、孝徳天皇が即位 12月、孝徳天皇、難波長柄豊崎宮に遷宮 |
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655 | 斉明天皇1 | 皇極天皇、重祚して斉明天皇に 飛鳥板蓋宮が焼け、飛鳥川原宮に移る |
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飛鳥岡本宮 | 656 | 2 | 飛鳥岡本宮へ遷宮 | |
660 | 6 | 唐・新羅連合軍が百済を滅ぼす | ||
661 | 7 | 7月、斉明天皇崩御 | ||
663 | 天智天皇2 | 8月、白村江で唐・新羅の連合軍に大敗する(白村江の戦い) | ||
近江大津宮 | 667 | 6 | 3月、天智天皇、近江大津宮に遷宮 | |
飛鳥浄御原宮 | 672 | 天武天皇元 | 6月、天智天皇の太子・大友皇子に対し、皇弟・大海人皇子(後の天武天皇)が挙兵(壬申の乱) | |
673 | 2 | 2月、大海人皇子、飛鳥浄御原宮を造営し即位 | ||
686 | 朱鳥元 | 10月、天武天皇崩御 | ||
690 | 持統天皇4 | 2月、持統天皇、即位 | ||
藤原宮 | 694 | 8 | 持統天皇、飛鳥浄御原宮から藤原京へ遷都 | |
697 | 文武天皇元 | 8月、持統天皇、孫の文武天皇に譲位 | ||
710 | 和銅3 | 3月、元明天皇、藤原京から平城京へ遷都 |
参考資料
- 明日香村観光マップ
- 【いよいよ飛鳥へ】古代史好き外国人が日本の古代遺跡を巡ると…!!!(スキマにヒストリア Youtube)
- 【古代ミステリー】飛鳥時代とは一体どんな時代だったのか?|始まりから終わりまでわかりやすく解説!(スキマにヒストリア Youtube)
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