1.輪読発表
13:10~13:40 輪読発表
第四章 冷戦の終焉と対称的な日韓関係の到来(第四~五節 pp.154-180)
担当
13:40~14:10 グループワーク
14:10~14:20 休憩
2.補足説明
14:20~15:00 補償問題
戦後、広島の原爆被害者らはサンフランシスコ平和条約の放棄条項によって、米国への賠償請求権が失われたとして、それに代わる賠償を国に求める訴訟を起こしました。これに対して国は、条約で放棄したのは国の外交保護権であって個人の請求権ではないから、国には補償責任がないと主張しました。
1987年に民主化が実現すると、韓国では日本の戦争や植民地支配の中で受けた個人的な損害に対し、補償を求める声が高まります。91年には韓国人の元兵士や軍属、慰安婦を原告とする訴訟が起こりました(アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件)。これに対し、国は65年の日韓国交正常化の際に締結された日韓請求権協定も、サンフランシスコ平和条約と同じく、韓国人被害者の個人の請求権を消滅させたものではないから、個々の請求権の有無は裁判所が判断するものと主張しました。
ところが裁判で国側に不利な判決が下るようになると、国は突然解釈を変更します。補償問題は日韓請求権協定により解決済みであると主張を変更したのです。これより、日本での裁判はほとんどが原告側すなわち韓国側被害者の敗訴となりました。
このため裁判の舞台は日本の裁判所から韓国の裁判所へと移ります。2011年、憲法裁判所は、韓国政府が慰安婦問題の解決のために具体的な努力をせず、被害者の基本権を侵害したとして違憲判決を下した。これ以降、大陪審は日本側の訴えを認めた下級審の判決を相次いで差し戻し、日本側の敗訴が確定しています。
〔映像資料〕
- 「その時、市民は闘った~韓国の夜明け 光州事件」(NHK総合 2018年6月12日放送)
15:00~15:20 グループワーク
3.学会発表準備
15:20~16:00
| 西暦 | 国・地域 | 出来事 | ||||||
| 中国 |
朝鮮 |
日本 | ||||||
| 1945 | ソ軍政 | 米 軍 政 |
昭和 | 8月、日本がポツダム宣言を受諾し、終戦 | ||||
| 1948 | 朝鮮民主主義人民共和国 |
大韓民国 |
第一共和国 |
7月、李承晩が初代大統領に就任 8月、李承晩が大韓民国政府樹立を宣言 9月、金日成が朝鮮民主主義人民共和国樹立を宣言 |
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| 1949 | 中華人民共和国 | 中華民国 | 1月、韓国駐日代表部を東京に設置 | |||||
| 1950 | 6月、朝鮮戦争勃発 | |||||||
| 1951 | 9月、日本が連合国諸国と講和条約を締結(サンフランシスコ平和条約、韓国の参加は拒否される) | |||||||
| 1952 | 1月、李承晩が大統領令「隣接海洋に対する主権宣言」を公表し、竹島(独島)を含む広範な公海上に海洋境界線を設置(李承晩ライン)65年の日韓漁業協定で解消されるまでに、拿捕漁船328隻、抑留船員3,929人、死傷者44人の被害が発生 4月、サンフランシスコ平和条約が発効し、日本が主権を回復 同月、日本が台湾の国民政府と講和条約を締結(日華平和条約) |
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| 1953 | 7月、北朝鮮と国連軍が朝鮮戦争の休戦協定を締結 10月、第3次日韓会談で日本側首席代表久保田貫一郎が「日本側も補償を要求する権利を持つ、なぜなら、日本は36年間に‥‥多くの利益を韓国人に与えたからだ」「日本が進出していなかったら、韓国は中国かロシアに占領され、もっとミゼラブルな状態に置かれただろう」と発言(久保田発言) |
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| 1959 | 2月、国際赤十字社による在日コリアンの帰還事業を閣議決定 12月、新潟日赤センター爆破未遂事件で韓国のテロ工作員が逮捕される 同月、北朝鮮への帰還事業開始(67年から71年までの中断をはさんで84年まで実施) |
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| 1960 | 第二共和国 | 4月、学生デモを契機として政権崩壊(四月革命)、李承晩はハワイへ亡命 6月、中ソ論争が表面化し、ソ連が中国に派遣していた技術専門家を引き揚げ |
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| 1961 | 軍政期 | 5月、朴正熙が5・16軍事クーデターを起こし、国家再建最高会議議長に就任 | ||||||
| 1962 | 10月、ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設、米ソ間の緊張が高まる(キューバ危機) | |||||||
| 1963 | 第三共和国 | 10月、朴正熙、第5代大統領に就任 | ||||||
| 1964 | 8月、北ベトナムの領内に侵入した米駆逐艦が北ベトナム軍の魚雷攻撃を受ける(トンキン湾事件) 9月、韓国軍のベトナム派兵開始(ベトナム特需により三星、現代、韓進、大宇などの財閥が誕生した) 10月、中国が初の原爆実験に成功 |
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| 1965 | 2月、椎名悦三郎外相が訪韓し、「両国間の長い歴史の中で不幸な期間があったことは、まことに遺憾な次第であり、深く反省する」とのメッセージを発表 6月、日韓基本条約及び日韓請求権協定締結 10月、ベトナムに上陸した韓国軍が12月から翌66年8月までの間に無抵抗の住民数千人を殺害、女性住民への集団暴行を行う(韓国軍虐殺暴行事件) |
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| 1966 | 5月、中国で文化大革命が始まる 8月、中国がソ連を「社会帝国主義」と批判 |
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| 1967 | 12月、北朝鮮への帰国事業が中断 | |||||||
| 1968 | 3月、米軍がソンミ村で無抵抗の村民504人を虐殺(ソンミ村虐殺事件) | |||||||
| 1971 | 5月、北朝鮮への帰国事業が再開(1984年に終了) | |||||||
| 1972 | 第四共和国 | 2月、米大統領ニクソンが訪中し、米中共同宣言を発表 7月、北朝鮮と韓国が南北統一のための三原則の合意を発表(7・4南北共同声明) 9月、田中首相が訪中し、日中共同宣言を発表(日中国交正常化) 10月、非常戒厳令を宣布(10月維新)。憲法の一部条項の効力を停止、国会の解散、政治活動の禁止。 11月、維新憲法案、国民投票で成立(維新独裁体制) 12月、第1回統一主体国民会議代議員選挙。 同月、統一主体国民会議、朴正熙を大統領に選出 |
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| 1973 | 8月、金大中が東京で韓国中央情報部(KCIA) により拉致される(金大中拉致事件) | |||||||
| 1974 | 8月、韓国独立記念日の式典で在日コリアンの青年が朴正熙大統領を狙撃し、陸英州夫人が犠牲となる(文世光事件) | |||||||
| 1975 | 4月、サイゴンが陥落し、ベトナム戦争終結 11月、韓国中央情報部(KCIA)が、徐勝・徐俊植ら在日韓国人の留学生21名を国家保安法及び反共法違反で逮捕 |
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| 1979 | 10月、朴正熙大統領、金載圭中央情報部長に射殺される(10・26事件) 12月、全斗煥らが軍内クーデターを起こす(12・12粛軍クーデター) 同月、ソ連がアフガニスタンの内戦に介入(ソ連のアフガン侵攻) |
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| 1980 | 第五共和国 | 5月、金大中ら民主活動家が逮捕される 同月、光州市で起こった民主化デモを戒厳軍が武力鎮圧(5・18光州事件) 9月、全斗煥が大統領に就任 同月、金大中に死刑判決が下りる |
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| 1982 | 7月、文部省の教科書検定強化に対し、中国、韓国が反発(第一次教科書問題) | |||||||
| 1984 | NHKが「ハングル講座」を開始 | |||||||
| 1985 | 9月、プラザ合意により急速な円高ウォン安となる | |||||||
| 1986 | 6月、日本を守る国民会議が編纂した高校用教科書『新編日本史』が検定を通過したことに韓国・中国が抗議(第二次教科書問題) | |||||||
| 1987 | 1月、ソウル大学校学生の朴鍾哲が警察による拷問で死亡 6月、延世大学校学生の李韓烈が戦闘警察が放った催涙弾の直撃を受ける(7月に死亡) 同月、盧泰愚が「オリンピック終了後、然るべき手段で信を問う用意がある」と声明を発表(6・29民主化宣言) 12月、16年ぶりに国民による大統領直接選挙が実施される |
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| 1988 | 第六共和国 | 2月、盧泰愚が大統領に就任 9月、ソウルオリンピックが開催される |
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| 1989 | 平成 |
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| 1990 | 12月、廬泰愚大統領とソ連のゴルバチョフ大統領の間で韓ソ共同宣言が署名される(韓ソ国交正常化) | |||||||
| 1991 | 9月、韓国・北朝鮮が国連加盟 | |||||||
| 1992 | 8月、韓国の李相玉外相と中国の銭其琛外相との間で共同声明が調印される(中韓国交正常化・韓台断交) | |||||||
参考資料


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