1.輪読発表
13:10~13:40 輪読発表
第二章 冷戦下における日韓関係の「誕生」(第三~五節)(pp.53-76)
担当 4班(小高 野口 荒井 吉田 石田 久根内)
13:40~14:00 グループワーク
14:00~14:10 休憩
2.補足説明
14:10~15:00 日韓基本条約
不正選挙で独裁体制を続けてきた李承晩は、1960年4月、186人の死者を出した学生運動の弾圧をきっかけに大統領を追われ、米国に亡命しました。(四月革命)
政治的混乱と軍の腐敗が深刻化する中、61年5月、朴正熙はクーデターを起こし、軍事政権を打ち立てます。(五・一六軍事クーデター)
1961年、国家再建最高会議議長となった朴正熙は、経済開発五カ年計画を立て、日本からの投資を誘致するため、同年11月、日本を訪れ、岸信介を介して池田勇人首相ら日本政府との交渉を再開します。
日本の傀儡国家満州国の軍人であった朴正熙にとって、抗日パルチザンであった金日成は、生涯の宿敵でした。民政移管後、大統領に就任した朴は、北朝鮮に対抗し、権威主義体制による開発独裁を進めるため、日本への「請求権」を放棄し、「経済協力」の名のもとに資金調達と国交正常化を進めました。
その結果、日韓併合条約をどう考えるか、竹島(独島)の領有権をどうするか‥‥。これらの問題を残したまま「日韓基本条約」が締結されました。
今日まで多くの課題を残す「日韓基本条約」がどのように締結されたのか、映像資料を通じて考えてみましょう。
〔映像資料〕
- NHKスペシャル「日本と朝鮮半島 第5回 日韓関係はこうして築かれた」(2010年8月1日放送)
15:00~15:20 グループワーク
3.学会発表準備
15:20~16:00
| 西暦 | 国・地域 | 出来事 | ||||||
| 中国 |
朝鮮 |
日本 | ||||||
| 1945 | ソ軍政 | 米 軍 政 |
8月、日本がポツダム宣言を受諾し、終戦 | |||||
| 1948 | 朝鮮民主主義人民共和国 |
大韓民国 |
第一共和国 |
7月、李承晩が初代大統領に就任 8月、李承晩が大韓民国政府樹立を宣言 9月、金日成が朝鮮民主主義人民共和国樹立を宣言 |
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| 1949 | 中華人民共和国 | 中華民国 | 1月、韓国駐日代表部を東京に設置 | |||||
| 1950 | 6月、朝鮮戦争勃発 | |||||||
| 1951 | 9月、日本が連合国諸国と講和条約を締結(サンフランシスコ平和条約、韓国の参加は拒否される) | |||||||
| 1952 | 1月、李承晩が大統領令「隣接海洋に対する主権宣言」を公表し、竹島(独島)を含む広範な公海上に海洋境界線を設置(李承晩ライン)65年の日韓漁業協定で解消されるまでに、拿捕漁船328隻、抑留船員3,929人、死傷者44人の被害が発生 4月、サンフランシスコ平和条約が発効し、日本が主権を回復 同月、日本が台湾の国民政府と講和条約を締結(日華平和条約) |
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| 1953 | 7月、北朝鮮と国連軍が朝鮮戦争の休戦協定を締結 10月、第3次日韓会談で日本側首席代表久保田貫一郎が「日本側も補償を要求する権利を持つ、なぜなら、日本は36年間に‥‥多くの利益を韓国人に与えたからだ」「日本が進出していなかったら、韓国は中国かロシアに占領され、もっとミゼラブルな状態に置かれただろう」と発言(久保田発言) |
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| 1959 | 2月、国際赤十字社による在日コリアンの帰還事業を閣議決定 12月、新潟日赤センター爆破未遂事件で韓国のテロ工作員が逮捕される 同月、北朝鮮への帰還事業開始(67年から71年までの中断をはさんで84年まで実施) |
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| 1960 | 第二共和国 | 4月、学生デモを契機として政権崩壊(四月革命)、李承晩はハワイへ亡命 6月、中ソ論争が表面化し、ソ連が中国に派遣していた技術専門家を引き揚げ |
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| 1961 | 軍政期 | 5月、朴正熙が5・16軍事クーデターを起こし、国家再建最高会議議長に就任 | ||||||
| 1962 | 10月、ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設、米ソ間の緊張が高まる(キューバ危機) | |||||||
| 1963 | 第三共和国 | 10月、朴正熙、第5代大統領に就任 | ||||||
| 1964 | 6月、非常戒厳令が敷かれる 8月、北ベトナムの領内に侵入した米駆逐艦が北ベトナム軍の魚雷攻撃を受ける(トンキン湾事件) 9月、韓国軍のベトナム派兵開始(ベトナム特需により三星、現代、韓進、大宇などの財閥が誕生した) 10月、中国が初の原爆実験に成功 |
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| 1965 | 2月、椎名悦三郎外相が訪韓し、「両国間の長い歴史の中で不幸な期間があったことは、まことに遺憾な次第であり、深く反省する」とのメッセージを発表 6月、日韓基本条約及び日韓請求権協定締結 10月、ベトナムに上陸した韓国軍が12月から翌66年8月までの間に無抵抗の住民数千人を殺害、女性住民への集団暴行を行う(韓国軍虐殺暴行事件) |
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| 1966 | 5月、中国で文化大革命が始まる 8月、中国がソ連を「社会帝国主義」と批判 |
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| 1967 | 12月、北朝鮮への帰国事業が中断 | |||||||
| 1968 | 3月、米軍がソンミ村で無抵抗の村民504人を虐殺(ソンミ村虐殺事件) | |||||||
| 1971 | 5月、北朝鮮への帰国事業が再開(1984年に終了) | |||||||
| 1972 | 第四共和国 | 10月、非常戒厳令を宣布(10月維新)。憲法の一部条項の効力を停止、国会の解散、政治活動の禁止。 11月、維新憲法案、国民投票で成立(維新独裁体制) 12月、第1回統一主体国民会議代議員選挙。 同月、統一主体国民会議、朴正熙を大統領に選出 |
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| 1973 | 8月、金大中が東京で韓国中央情報部(KCIA) により拉致され、(金大中拉致事件) | |||||||
| 1979 | 10月、朴正熙大統領、金載圭中央情報部長に射殺される(10・26事件) | |||||||
参考資料
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