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日中交流の史跡と文化

第6回 倭から日本へ

第6回 倭から日本へ~日本はいつから日本になったのか?  中国では、8世紀頃まで日本を「倭」と呼び、日本も対外的には「倭」を自称していました。では、この「倭」という名はどこから来たのでしょうか。  弘仁4年(813年)に行われた『日本書紀』...
2025年度授業計画

2025年度授業計画

授業の概要と目的(何を学ぶか)  中国や台湾、韓国などアジアの人々の対日イメージと、日本人自身が抱く自己イメージとの間には大きな違いがあり、良好な近隣関係を築く上での障害となっている。  この授業では「アジアから見た日本」をテーマに、これら...
日韓交流の歴史と文化

【コラム】菩薩半跏像と古代の国際結婚

1993年、法隆寺は日本で初めて世界文化遺産に登録されました。しかし、この古刹も、明治維新の際に全国の寺院を襲った「廃仏毀釈」によって、大きな打撃を受けました。1872(明治4)年には、寺領を没収する上知令が出され、1875(明治7)年には...
日中交流の史跡と文化

【コラム】『日本書紀』の謎(作成中)

【コラム】『日本書紀』の謎  『日本書紀』は、奈良時代の初め、720年に完成しました。しかし、その編纂作業は、飛鳥時代の末、天武・持統両天皇の時代(673~697年)から始まっていたようです。では、なぜこの時代に『日本書紀』は編纂されたので...
日中交流の史跡と文化

【コラム】天武・持統時代の遺跡

【コラム】天武・持統時代の遺跡  663年、倭は白村江の戦いで唐・新羅連合軍に大敗を喫しました。672年、敗戦の責任者であった天智天皇が没すると、皇室内でクーデターが起こり、天智天皇の弟の大海人皇子おおあまのみこが、甥の大友皇子を自殺に追い...
日中交流の史跡と文化

第7回 民の心を知るために

第7回 民の心を知るために~『詩経』と『万葉集』  755年、難波で防人(さきもり)の閲兵を行なっていた大伴家持(おおとものやかもち)は、東国各地から防人を引率してきた部領使を通して、防人たちの歌を集めました。なかには、こんなせつない歌もあ...
2024年度授業計画

2025-01-10(金)第28回

冬のフィールドワーク 目的  東京国立博物館には、日中韓の交流の歴史を伝える貴重な文物が数多く所蔵されている。一年の学習の振り返りとして、現在展示されているものの中からいくつかを選んで見学したい。 行程 13:10 大学出発 13:20 飯...
2024年度授業計画

2024-12-20(金)第27回

1.輪読発表 民主化後の台湾 (テキスト pp.206-231) 今日の台湾 (テキスト pp.232-271) 2.冬のフィールドワークについて 参考資料 「民主主義を守りたい」台湾・ひまわり学生運動から10年|(TBS NEWS DIG...
2024年度授業計画

2024-01-10(金)第28回

参考資料 1.報道特集「台湾出身の元日本兵・呉正男」(TBS 2023年8月12日放送)
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2024-12-13(金)第26回

1.輪読発表  冷戦時代の終焉と中台関係(テキスト pp.184-205) 2.グループワーク  李登輝は1990年、国家統一委員会を発足し、翌91年の第三回会議で「国家統一綱領」を採択しました。ところが96年、初の総統直接選挙で再選される...