2025-09-26(金)第16回

2025年度授業計画
朝鮮総督府と景福宮(1951年)

1.輪読発表
13:10~13:30 輪読発表
第一章 日韓関係の「前史」(pp.9-32)
担当:2班 小林 藤谷 島村 鍋島 石坂 菊池
13:30~14:00 グループワーク
14:00~14:10 休憩

2.補足説明
14:10~14:40 植民地統治下の日韓交流~浅川巧を例に
映画「道~白磁の人」鑑賞
14:40~15:00 グループワーク
15:00~15:10 休憩

3.学会発表準備
15:10~ 学会発表準備

〔参考〕西欧の衝撃から日韓併合までの朝鮮

清 ▶ 閔妃
(1851-1895)
閔氏一族
興宣大院君
(1820-1898)
高宗
(1852-1919)
金玉均
(1851-1894)
急進開化派
◀ 日本
西暦 中国 朝鮮 日本 出来事
1840 李氏朝鮮   江戸時代 6月、清のアヘン禁輸に反発し、英国が遠征軍を派遣(第一次アヘン戦争
1843 10月、清と英が虎門寨追加条約(関税自主権の放棄・領事裁判権・片務的最恵国待遇を認める不平等条約)を締結
1853 6月、米東インド艦隊司令長官ペリーが浦賀に来航(黒船来航
1854 3月、日米和親条約締結(片務的最恵国待遇を認める不平等条約
1858 7月、日米修好通商条約(関税自主権の放棄・領事裁判権・片務的最恵国待遇を認める不平等条約
1863 大院君執政期 12月、高宗が11歳で即位。実父の李昰応(興宣大院君)が国政を掌握
1866 3月、興宣大院君がフランス人宣教師9名やカトリック信者約8,000名を捕らえて処刑(丙寅教獄
6月、朝鮮が通商を求めて来航した米国の商船ジェネラル・シャーマン号を焼き討ちし、乗組員を殺害(ジェネラル・シャーマン号事件
1868 明治時代 12月、維新政府が対馬藩を通じて朝鮮に王政復古を伝える書契を送る
1873 閔氏政権 朝鮮への使節派遣をめぐり、維新政府内で征韓派と内治派の意見対立が起こり、西郷隆盛ら征韓派の5参議が下野(明治六年政変
朝鮮で興宣大院君が失脚し、高宗の王妃閔氏の一族を中心とする閔氏政権が成立
1874 5月、台湾原住民による琉球漂流民殺害事件の責任追及を理由に、日本が台湾に軍を派遣(台湾出兵
1875 9月、朝鮮本土と江華島との間を航行中の日本の軍艦雲揚号が砲撃を受け、仁川対岸の永宗島を攻撃(江華島事件
1876 2月、日朝修好条規(①朝鮮の中国冊封体制からの独立、②関税自主権の放棄、③領事裁判権を認める不平等条約)締結
1881 朝鮮の開国をめぐり、衛正斥邪派と開化派がそれぞれ上訴運動を行う
1882 7月、興宣大院君の煽動により旧軍の兵士と下層民衆が閔妃一族の邸宅や日本公使館を襲撃(壬午軍乱
8月、興宣大院君が清軍に拉致され、天津に抑留される
1884 12月、朝鮮で金玉均ら急進開化派がクーデターを起こし、閔氏政権の要人を殺害(甲申事変
1885 2月、急進開化派の父母妻子が処刑される
3月、福澤諭吉が発行する『時事新報』に「脱亜論」と題する社説が掲載される
日本と清が①朝鮮からの撤兵と②出兵の際の事前通告を内容とする条約を締結(天津条約
1891 1月、浅川巧、山梨県に生まれる
1894 大院君執政期 7月、興宣大院君が日本の支援を受け復権
6月、朝鮮で起こった東学党の乱を鎮圧するため、日清両国が出兵
8月、日清両国の撤兵交渉が決裂し、日本が清に宣戦布告(日清戦争
1895 4月、日本と清が講和条約(下関条約)を締結。朝鮮の独立自主と清への貢献典礼の廃止を認める
10月、日本公使三浦梧楼に動員された日本人の一団が景福宮に侵入し、閔妃を殺害(乙未事変
1897 大韓
帝国
10月、朝鮮の高宗が皇帝に即位し、国号を大韓と改める
1904 2月、日本とロシアが朝鮮半島の支配権をめぐり開戦(日露戦争
8月、日本が韓国に日本人の財務顧問、外国人の外交顧問各1名を招聘し、外国との条約締結などの際は日本と協議することとを認めさせる(第一次日韓協約
1905 1月、日本が竹島を島根県隠岐島庁に編入することを閣議決定し、内務大臣訓令として告示を発布(竹島領有
7月、日米が桂・タフト協定を結び、米のフィリピンでの権益と日本の朝鮮での権益を相互承認
11月、日本が韓国の外交権を剥奪し、統監府を置いて保護国化するこことを認めさせる(第二次日韓協約
1907 6月,オランダで開かれた第2回ハーグ平和会議に高宗が密使を派遣(ハーグ密使事件
7月、高宗が退位し、皇太子李坧(純宗)が即位
同月、日本が韓国に統監による行政・司法の指導と日本人官僚の採用を認めさせ(第三次日韓協約
8月、韓国軍を解散させる
1910   8月、韓国の統治権を日本に譲渡(韓国併合条約)、明治天皇が勅使を派遣し、純宗を李王として冊封
10月、初代朝鮮総督に寺内正毅が就任、①総督武官制、②憲兵警察制による武断統治を開始
1912 中華民国 大正時代 1月、孫文が南京で中華民国の成立を宣言
1914 5月、浅川巧(23歳)が朝鮮半島に渡り、朝鮮総督府の林業試験場に就職
1919 1月、高宗が薨去
3月、朝鮮で宣言文が発表され、運動が各地に波及する(三一独立運動
4月、日本軍が朝鮮提岩里の住民29名を殺害(提岩里事件
8月、第三代朝鮮総督に斎藤実が就任し、①総督武官制の廃止、②憲兵警察制度の廃止などの文化政治を開始
1923 9月、関東大震災が発生、各地で朝鮮人・中国人が虐殺される
1924 4月、浅川巧(33歳)が柳宗悦や兄浅川伯教とともに景福宮内に朝鮮民族美術館を設立
1931 昭和時代 4月、浅川巧が急性肺炎のため没(享年40歳)
9月、日本の関東軍が奉天郊外の柳条湖で鉄道を爆破、これを口実に満洲全域を占領(満州事変
1936 8月、ベルリンオリンピックのマラソンで金メダルを獲得した孫基禎の写真を「東亜日報」が胸の日の丸を消して掲載したため、記者が逮捕され、同紙が発刊停止処分となる(日章旗抹消事件
1938 3月、朝鮮で陸軍特別志願兵令が公布される
1939 4月、朝鮮の学校で朝鮮語の時間を全廃
1940 2月、朝鮮で日本風の氏名への改名が推進される(創氏改名
1941 12月、日本が米英など連合国に宣戦布告(太平洋戦争
1942 7月、朝鮮語学会を民族主義集団として検挙(朝鮮語学会事件
1943 7月、朝鮮で海軍特別志願兵令が公布される
1944 9月、朝鮮で徴兵制が開始され、21万人が動員される
1945     8月、終戦

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