2025-10-24(金)第20回

2025年度授業計画
拷問で殺された朴鍾哲の写真を掲げるデモ隊(左)と催涙弾を受けて死んだ李韓烈(右)

1.輪読発表

13:10~13:40 輪読発表
 第三章 冷戦の変容と非対称的で相互補完的な日韓関係(第三~五節)(pp.96-126)
 担当 2班(小林 藤谷 島村 鍋島 石坂 菊池)

13:40~14:10 グループワーク

14:10~14:20 休憩

2.補足説明

14:20~15:00 第五共和国―民主化への道
 1979年10月、朴正熙大統領が暗殺されると、韓国は一時「ソウルの春」と呼ばれる民主化の機運が高まりました。ところが同年12月、全斗煥は軍内の派閥組織「ハナフェ」(一会 하나회)を率いてクーデターを起こし、軍内の主導権を握ると、新軍部による政治への介入を始めました(12・12粛軍クーデター)。
 翌80年4月、ソウルで学生や労働者が民主化を求めるデモを行うと、全斗煥ら新軍部は戒厳令を拡大し、金大中らの政治家や学生運動・労働運動の指導者たちを逮捕しました。
 同年5月、光州で学生や市民が軍の政治介入に抗議して大規模なデモを行うと、全斗煥ら新軍部は軍隊を派遣してこれを鎮圧し、民間人の死者は144人を数えました(1980年5月31日、戒厳司令部発表)(5・18光州事件)。
 同年10月、全斗煥は第8次憲法改正を行い、新軍部主導による第五共和国が開始しました。
 1983年、全斗煥政権は第二の国交正常化とも呼ばれる日韓安保経協によって日本から7年間で40億ドルの円借款の供与を受け、開発独裁による権威主義体制を続けました。
 しかし、こうした軍事政権下でも、民主化を求める声がやむことはありませんでした。
 1987年1月、ソウル大学の学生朴鍾哲が、南営洞対共分室(内務部治安本部傘下の「赤狩り」組織)での拷問により死亡しました。当局は隠ぺいを図りますが、新聞が検察の情報をリークしたことで、事実が明るみになり、大規模な抗議デモが起こりました。
 さらに6月、延世大学の学生李韓烈がデモの最中、戦闘警察(機動隊)が発射した催涙弾を頭部に受け、翌7月に死亡しました。
 二人の大学生の死によって、全斗煥大統領の軍事政権への批判は高まり、与党の大統領候補である盧泰愚は、同月、大統領直接選挙制の導入などの「民主化宣言」を発表します。
 こうして10月には、与野党の合意による第9次憲法改正が国民投票で承認され(第六共和国憲法=現行憲法)、12月、16年ぶりに大統領直接選挙が実施されました。野党の分裂により、選挙では与党の盧泰愚が当選しましたが、この年、韓国の民主化が実現したのです。

〔映像資料〕

  • 「その時、市民は闘った~韓国の夜明け 光州事件」(NHK総合 2018年6月12日放送)
  • 映画『1987、ある闘いの真実』(2017年12月公開)

15:00~15:20 グループワーク

▼光州事件で有罪判決を受けた全斗煥(右)と盧泰愚(左)(1996年8月26日)

3.学会発表準備

15:20~16:00

西暦 国・地域 出来事
中国
朝鮮半島
日本
1945 中華民国 ソ軍政


昭和 8月、日本がポツダム宣言を受諾し、終戦
1948

朝鮮民主主義人民共和国



大韓民国





第一共和国
7月、李承晩が初代大統領に就任
8月、李承晩が大韓民国政府樹立を宣言
9月、金日成が朝鮮民主主義人民共和国樹立を宣言
1949 中華人民共和国 中華民国 1月、韓国駐日代表部を東京に設置
1950 6月、朝鮮戦争勃発
1951 9月、日本が連合国諸国と講和条約を締結(サンフランシスコ平和条約、韓国の参加は拒否される)
1952 1月、李承晩が大統領令「隣接海洋に対する主権宣言」を公表し、竹島(独島)を含む広範な公海上に海洋境界線を設置(李承晩ライン)65年の日韓漁業協定で解消されるまでに、拿捕漁船328隻、抑留船員3,929人、死傷者44人の被害が発生
4月、サンフランシスコ平和条約が発効し、日本が主権を回復
同月、日本が台湾の国民政府と講和条約を締結(日華平和条約
1953 7月、北朝鮮と国連軍が朝鮮戦争の休戦協定を締結
10月、第3次日韓会談で日本側首席代表久保田貫一郎が「日本側も補償を要求する権利を持つ、なぜなら、日本は36年間に‥‥多くの利益を韓国人に与えたからだ」「日本が進出していなかったら、韓国は中国かロシアに占領され、もっとミゼラブルな状態に置かれただろう」と発言(久保田発言
1959 2月、国際赤十字社による在日コリアンの帰還事業を閣議決定
12月、新潟日赤センター爆破未遂事件で韓国のテロ工作員が逮捕される
同月、北朝鮮への帰還事業開始(67年から71年までの中断をはさんで84年まで実施)
1960 第二共和国 4月、学生デモを契機として政権崩壊(四月革命)、李承晩はハワイへ亡命
6月、中ソ論争が表面化し、ソ連が中国に派遣していた技術専門家を引き揚げ
1961 軍政期 5月、朴正熙5・16軍事クーデターを起こし、国家再建最高会議議長に就任
1962 10月、ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設、米ソ間の緊張が高まる(キューバ危機
1963 第三共和国 10月、朴正熙、第5代大統領に就任
1964 8月、北ベトナムの領内に侵入した米駆逐艦が北ベトナム軍の魚雷攻撃を受ける(トンキン湾事件)
9月、韓国軍のベトナム派兵開始(ベトナム特需により三星、現代、韓進、大宇などの財閥が誕生した)
10月、中国が初の原爆実験に成功
1965 2月、椎名悦三郎外相が訪韓し、「両国間の長い歴史の中で不幸な期間があったことは、まことに遺憾な次第であり、深く反省する」とのメッセージを発表
6月、日韓基本条約及び日韓請求権・経済協力協定締結
10月、ベトナムに上陸した韓国軍が12月から翌66年8月までの間に無抵抗の住民数千人を殺害、女性住民への集団暴行を行う(韓国軍虐殺暴行事件
1966 日韓請求権・経済協力協定に基づき、10年間で5億ドル(無償3億ドル,有償2億ドル)の供与を開始(~75年)
5月、中国で文化大革命が始まる
8月、中国がソ連を「社会帝国主義」と批判
1967 12月、北朝鮮への帰国事業が中断
1968 3月、米軍がソンミ村で無抵抗の村民504人を虐殺(ソンミ村虐殺事件
1971 5月、北朝鮮への帰国事業が再開(1984年に終了)
1972 第四共和国 2月、米大統領ニクソンが訪中し、米中共同宣言を発表
7月、北朝鮮と韓国が南北統一のための三原則の合意を発表(7・4南北共同声明
9月、田中首相が訪中し、日中共同宣言を発表(日中国交正常化)
10月、非常戒厳令を宣布(10月維新)。憲法の一部条項の効力を停止、国会の解散、政治活動の禁止。
11月、第7次憲法改正が国民投票により承(維新憲法
12月、第1回統一主体国民会議代議員選挙。
同月、統一主体国民会議、朴正熙を大統領に選出
1973 5月、T・K生(池明観)が雑誌『世界』に「韓国からの通信」の連載開始(~88年3月号)
8月、金大中が東京で韓国中央情報部(KCIA) により拉致される(金大中拉致事件
1974 4月、戦後最初の市民レベルでの日韓連帯組織である日韓連帯連絡会議が結成される
8月、韓国独立記念日の式典で在日コリアンの青年が朴正熙大統領を狙撃し、陸英州夫人が犠牲となる(文世光事件
1975 4月、サイゴンが陥落し、ベトナム戦争終結
11月、韓国中央情報部(KCIA)が、徐勝・徐俊植ら在日韓国人の留学生21名を国家保安法及び反共法違反で逮捕
1979 10月、朴正熙大統領、金載圭中央情報部長に射殺される(10・26事件
12月、全斗煥らが軍内クーデターを起こす(12・12粛軍クーデター
同月、ソ連がアフガニスタンの内戦に介入(ソ連のアフガン侵攻→新冷戦へ
1980 第五共和国 5月、金大中ら民主活動家が逮捕される
同月、光州市で起こった民主化デモを戒厳軍が武力鎮圧(5・18光州事件
9月、全斗煥が大統領に就任
同月、金大中に死刑判決が下りる
10月、第8次憲法改正が国民投票で承認(第五共和国憲法
1982 7月、文部省の教科書検定強化に対し、中国、韓国が反発(第一次教科書問題
1983 1月、日本政府が韓国に7年間で40億ドルの円借款の供与を表明(第二の国交正常化・日韓安保経協
10月、北朝鮮の工作員がビルマを訪問中の全斗煥大統領一行の暗殺を狙って爆破事件を起こす(ラングーン事件
1984 NHKが「ハングル講座」を開始
1985 9月、プラザ合意により急速な円高ウォン安となる
1986 6月、日本を守る国民会議が編纂した高校用教科書『新編日本史』が検定を通過したことに韓国・中国が抗議(第二次教科書問題
1987 1月、ソウル大学校学生の朴鍾哲が警察による拷問で死亡
6月、延世大学校学生の李韓烈が戦闘警察が放った催涙弾の直撃を受ける(7月に死亡)
同月、盧泰愚が大統領直接選挙を公約とする声明を発表(6・29民主化宣言
10月、与野党の合意による第9次憲法改正が国民投票で承認(第六共和国憲法=現行憲法
11月、北朝鮮の工作員がイラクから韓国に向かう大韓航空858便に時限爆弾を仕掛けて爆破(大韓航空機事件
12月、16年ぶりに大統領直接選挙が実施される
1988 第六共和国 2月、盧泰愚が大統領に就任
9月、ソウルオリンピックが開催される
1989 平成
1月、昭和天皇崩御
1990 12月、廬泰愚大統領とソ連のゴルバチョフ大統領の間で韓ソ共同宣言が署名される(韓ソ国交正常化
1991 9月、韓国・北朝鮮が国連加盟
1992 8月、韓国の李相玉外相と中国の銭其琛外相との間で共同声明が調印される(中韓国交正常化・韓台断交
1995 12月、全斗煥と盧泰愚が光州事件での反乱罪の容疑で逮捕
1996 8月、第一審で全斗煥は死刑、盧泰愚は懲役22年の判決
1997 12月、金泳三大統領が全斗煥と盧泰愚を特赦
2019 令和 5月、平成天皇退位
2021 10月、盧泰愚没(享年89歳)
11月、全斗煥没(享年90歳)
   

参考資料

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