1.アイスブレーキング
13:10~13:30
韓国社会をいまも二分する保守派と進歩派の対立はなぜ起こったのか。みんなで話し合ってみましょう。
2.輪読発表
13:30~13:50 輪読発表
第二章 冷戦下における日韓関係の「誕生」(第一~二節)(pp.33-52)
担当 3班(李 増田 武田 福士 田中 林)
13:50~14:20 グループワーク
14:20~14:30 休憩
3.補足説明
14:30~15:00 韓国映画が描く朝鮮戦争
植民地統治時代を米国で過ごした李承晩には、朝鮮国内の支持基盤はありませんでした。そこで李承晩は“親日派”(植民地統治時代の対日協力者)と手を結び、米軍政の支援を得て、左派の弾圧と、米国に倣った二権分立型の大統領制の導入に努めました。
李承晩政権が朝鮮戦争の中で起こした保導連盟事件は、米軍政時代の1948年に起こった済州島4・3事件や、軍事政権時代の1980年に起こった光州事件とともに、いまも韓国社会を二分する保守派と進歩派の対立に大きな影響を与えました。
▼軍政時代の南朝鮮の政治勢力
ソ連 | 朴憲永 (1900-1956) 南朝鮮労働党 |
金九 (1876-1949) 呂運亨 (1886-1947) |
李承晩 (1875-1965) 韓国民主党 |
米国 |
15:00~15:20 グループワーク
4.学会発表準備
15:20~16:00 学会発表準備
西暦 | 国・地域 | 出来事 | ||||||
中国 |
朝鮮 |
日本 | ||||||
1943 | 中華民国 | 昭和時代 | 12月、米英中の首脳がカイロ宣言を発表し、「朝鮮の人民の奴隷状態に留意し軈て朝鮮を自由且独立のものたらしむるの決意を有す」ことを宣言 | |||||
1945 | ソ連軍政 | 米軍政 | 8月、日本がポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦が終戦 9月、北緯38度線を境に、北をソ連軍、南を米軍が軍政下に置く 10月、国際連合(国連)が発足 12月、連合国が朝鮮半島の信託統治を協定 |
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1947 | 11月、国連が南北朝鮮総選挙の実施を決定 | |||||||
1948 | 朝鮮民主主義人民共和国 | 大韓民国 | 2月、ソ連の反対により、国連が南朝鮮での単独選挙の実施を決定 4月、南朝鮮での単独選挙は分断を固定化するとして、済州島民の一部が武装蜂起(済州島4・3事件) 7月、李承晩が初代大統領に就任 8月、李承晩が大韓民国政府樹立を宣言 9月、金日成が朝鮮民主主義人民共和国樹立を宣言 12月、国家保安法を制定 |
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1949 | 中華人民共和国 | 6月、共産主義者などの教化と統制をおこなう思想保護観察団体「国民保導連盟」が組織される 10月、中国共産党が内戦に勝利し、中華人民共和国樹立を宣言 |
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1950 | 6月、朝鮮戦争勃発 同月、李承晩が保導連盟員や南朝鮮労働党関係者の処刑を命じ、数十万人が虐殺される(保導連盟事件) 同月、韓国軍が漢江人道橋(現在の漢江大橋)を爆破し民間人800人あまりが死亡(漢江人道橋爆破事件) |
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1951 | 9月、日本が連合国諸国と講和条約を締結(サンフランシスコ平和条約、韓国の参加は拒否される) | |||||||
1952 | 4月、講和条約が発効し、日本が主権を回復 同月、日本が台湾の国民政府と講和条約を締結(日華平和条約) |
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1953 | 7月、北朝鮮と国連軍が朝鮮戦争の休戦協定を締結 | |||||||
1960 | 4月、学生デモを契機として政権崩壊(四月革命)、李承晩はハワイへ亡命 | |||||||
1961 | 5月、朴正熙が5・16軍事クーデターを起こし、国家再建最高会議議長に就任 | |||||||
1963 | 10月、朴正熙、第5代大統領就任 | |||||||
1965 | 6月、日韓基本条約及び日韓請求権協定締結 |
参考資料
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