2025-10-10(金)第18回

2025年度授業計画
日韓基本条約締結(李東元外相・椎名悦三郎外相 ソウルにて 1965年12月18日)

1.輪読発表

13:10~13:40 輪読発表
 第二章 冷戦下における日韓関係の「誕生」(第三~五節)(pp.53-76)
 担当 4班(小高 野口 荒井 吉田 石田 久根内)

13:40~14:00 グループワーク

14:00~14:10 休憩

2.補足説明

14:10~15:00 日韓基本条約
  不正選挙で独裁体制を続けてきた李承晩は、1960年4月、186人の死者を出した学生運動の弾圧をきっかけに大統領の座を追われ、米国に亡命しました。(四月革命)
 政治的混乱と軍の腐敗が深刻化する中、61年5月、朴正熙はクーデターを起こし、軍事政権を打ち立てます。(五・一六軍事クーデター)
 1961年、国家再建最高会議議長となった朴正熙は、経済開発五カ年計画を立案すると、同年11月、資金調達のため日本を訪れ、岸信介を介して池田勇人首相ら日本政府と交渉を再開した。
 このあと日韓両国はどのような交渉を行ったのでしょうか。いまも多くの課題を残す「日韓基本条約」締結までの過程を、映像を通してみていきましょう。

〔映像資料〕

  • NHKスペシャル「日本と朝鮮半島 第5回 日韓関係はこうして築かれた」(2010年8月1日放送)

▼日韓基本条約締結時の朝鮮半島(1965年)

ソ連 北朝鮮
金日成
(1912-1994)
韓国
朴正熙
(1917-1979
米国

15:00~15:20 グループワーク

3.学会発表準備

15:20~16:00 学会発表準備

西暦 国・地域 出来事
中国
朝鮮
日本
1943 中華民国 昭和時代 12月、米英中の首脳がカイロ宣言を発表し、「朝鮮の人民の奴隷状態に留意し軈て朝鮮を自由且独立のものたらしむるの決意を有す」ことを宣言
1945 ソ連軍政 米軍政   8月、日本がポツダム宣言を受諾し、第二次世界大戦が終戦
9月、北緯38度線を境に、北をソ連軍、南を米軍が軍政下に置く
10月、国際連合(国連)が発足
12月、連合国が朝鮮半島の信託統治を協定
1947 11月、国連が南北朝鮮総選挙の実施を決定
1948 朝鮮民主主義人民共和国 大韓民国 第一共和国 2月、ソ連の反対により、国連が南朝鮮での単独選挙の実施を決定
4月、南朝鮮での単独選挙は分断を固定化するとして、済州島民の一部が武装蜂起(済州島4・3事件
7月、李承晩が初代大統領に就任
8月、李承晩が大韓民国政府樹立を宣言
9月、金日成が朝鮮民主主義人民共和国樹立を宣言
12月、国家保安法を制定
1949 中華人民共和国   6月、共産主義者などの教化と統制をおこなう思想保護観察団体「国民保導連盟」が組織される
10月、中国共産党が内戦に勝利し、中華人民共和国樹立を宣言
1950 6月、朝鮮戦争勃発
同月、李承晩が保導連盟員や南朝鮮労働党関係者の処刑を命じ、数十万人が虐殺される(保導連盟事件
同月、韓国軍が漢江人道橋(現在の漢江大橋)を爆破し民間人800人あまりが死亡(漢江人道橋爆破事件
7月、米軍が忠清北道にある京釜線永同老斤里双窟橋で韓国人避難民300人を虐殺(老斤里虐殺事件
1951 2月、慶尚南道居昌郡・山清郡・咸陽郡で韓国軍が計1100人(半数は子ども)の民間人を虐殺(居昌・山清・咸陽虐殺事件
9月、日本が連合国諸国と講和条約を締結(サンフランシスコ平和条約、韓国の参加は拒否される)
1952 1月、李承晩が「海洋主権宣言」を発出し、竹島(独島)を含む公海上の広範な海域に李承晩ラインを設定
4月、講和条約が発効し、日本が主権を回復
同月、日本が台湾の国民政府と講和条約を締結(日華平和条約
1953 7月、北朝鮮と国連軍が朝鮮戦争の休戦協定を締結
1959 12月、在日コリアンらの帰国事業が開始(1959~67年、71~84年までの間に計93,000人(日本人妻1831人を含む)が北朝鮮に渡る)
1960 第二共和国 4月、学生デモを契機として政権崩壊(四月革命)、李承晩はハワイへ亡命
1961 軍政期 5月、朴正熙5・16軍事クーデターを起こし、国家再建最高会議議長に就任
1962 10月、ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設、米ソ間の緊張が高まる(キューバ危機
1963 第三共和国 10月、朴正熙、第5代大統領に就任
1965 6月、日韓基本条約及び日韓請求権協定締結

参考資料

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