1.輪読発表
13:10~13:40 輪読発表
第三章 冷戦の変容と非対称的で相互補完的な日韓関係(第一~二節)(pp.77-95)
担当 1班(山中 武内 稲村 澁谷 伊藤 樺澤)
13:40~14:00 グループワーク
14:00~14:10 休憩
2.補足説明
14:10~15:00 朴正熙時代の日韓関係
朴正熙時代は、東西対立が頂点に達した時期でもあります。
62年には、キューバ危機が起こり、米ソ間の緊張は核戦争寸前にまで達しました。
米ソの交渉により、戦争は回避できたものの、中ソ対立の中でソ連に脅威を抱いた中国は、64年、原爆実験に成功し、新たな核保有国となります。
ベトナムでは、同年に起こったトンキン湾事件をきっかけに、米国がベトナム戦争に本格介入し、韓国も在韓米軍がベトナムに回されるを防ぐため軍を派遣します。ベトナム戦争では、韓国軍による無抵抗住民の大量虐殺や女性への集団暴行、米軍によるソンミ村虐殺事件などが起こり、米国や日本では激しい反戦運動が起こりました。
一方、朝鮮戦争の特需で日本の企業が資本を蓄え、急成長を遂げたように、韓国ではベトナム戦争の特需で三星、現代、韓進、大宇などの財閥が誕生し、「漢江の奇跡」と呼ばれる経済発展が起こります。
こうした歴史の裏側では、日本政府や日本赤十字社の支援を受けて、在日コリアンの北朝鮮への帰還事業が続けられていました。
1960年代末の京都を舞台に、日本の青年と在日コリアンの少女の恋と葛藤を描いた映画「パッチギ!」を通して、この時代の日韓関係について考えてみましょう。
〔映像資料〕
- 映画「パッチギ!」(監督井筒和幸 2005年公開)
15:00~15:20 グループワーク
3.学会発表準備
15:20~16:00
| 西暦 | 国・地域 | 出来事 | ||||||
| 中国 |
朝鮮 |
日本 | ||||||
| 1945 | ソ軍政 | 米 軍 政 |
8月、日本がポツダム宣言を受諾し、終戦 | |||||
| 1948 | 朝鮮民主主義人民共和国 |
大韓民国 |
第一共和国 |
7月、李承晩が初代大統領に就任 8月、李承晩が大韓民国政府樹立を宣言 9月、金日成が朝鮮民主主義人民共和国樹立を宣言 |
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| 1949 | 中華人民共和国 | 中華民国 | 1月、韓国駐日代表部を東京に設置 | |||||
| 1950 | 6月、朝鮮戦争勃発 | |||||||
| 1951 | 9月、日本が連合国諸国と講和条約を締結(サンフランシスコ平和条約、韓国の参加は拒否される) | |||||||
| 1952 | 1月、李承晩が大統領令「隣接海洋に対する主権宣言」を公表し、竹島(独島)を含む広範な公海上に海洋境界線を設置(李承晩ライン)65年の日韓漁業協定で解消されるまでに、拿捕漁船328隻、抑留船員3,929人、死傷者44人の被害が発生 4月、サンフランシスコ平和条約が発効し、日本が主権を回復 同月、日本が台湾の国民政府と講和条約を締結(日華平和条約) |
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| 1953 | 7月、北朝鮮と国連軍が朝鮮戦争の休戦協定を締結 10月、第3次日韓会談で日本側首席代表久保田貫一郎が「日本側も補償を要求する権利を持つ、なぜなら、日本は36年間に‥‥多くの利益を韓国人に与えたからだ」「日本が進出していなかったら、韓国は中国かロシアに占領され、もっとミゼラブルな状態に置かれただろう」と発言(久保田発言) |
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| 1959 | 2月、国際赤十字社による在日コリアンの帰還事業を閣議決定 12月、新潟日赤センター爆破未遂事件で韓国のテロ工作員が逮捕される 同月、北朝鮮への帰還事業開始(67年から71年までの中断をはさんで84年まで実施) |
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| 1960 | 第二共和国 | 4月、学生デモを契機として政権崩壊(四月革命)、李承晩はハワイへ亡命 6月、中ソ論争が表面化し、ソ連が中国に派遣していた技術専門家を引き揚げ |
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| 1961 | 軍政期 | 5月、朴正熙が5・16軍事クーデターを起こし、国家再建最高会議議長に就任 | ||||||
| 1962 | 10月、ソ連がキューバに核ミサイル基地を建設、米ソ間の緊張が高まる(キューバ危機) 11月、法政二校祭で二校の生徒が朝鮮高校の生徒を殺害 |
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| 1963 | 第三共和国 | 10月、朴正熙、第5代大統領に就任 | ||||||
| 1964 | 8月、北ベトナムの領内に侵入した米駆逐艦が北ベトナム軍の魚雷攻撃を受ける(トンキン湾事件) 9月、韓国軍のベトナム派兵開始(ベトナム特需により三星、現代、韓進、大宇などの財閥が誕生した) 10月、中国が初の原爆実験に成功 |
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| 1965 | 2月、椎名悦三郎外相が訪韓し、「両国間の長い歴史の中で不幸な期間があったことは、まことに遺憾な次第であり、深く反省する」とのメッセージを発表 6月、日韓基本条約及び日韓請求権協定締結 10月、ベトナムに上陸した韓国軍が12月から翌66年8月までの間に無抵抗の住民数千人を殺害、女性住民への集団暴行を行う(韓国軍虐殺暴行事件) |
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| 1966 | 5月、中国で文化大革命が始まる 8月、中国がソ連を「社会帝国主義」と批判 |
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| 1967 | 12月、北朝鮮への帰国事業が中断 | |||||||
| 1968 | 3月、米軍がソンミ村で無抵抗の村民504人を虐殺(ソンミ村虐殺事件) 京都の高校生松山康介が朝鮮高校の少女キョンジャと出会う |
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| 1971 | 3月、米ニクソン政権が在韓米地上軍削減を決定 5月、北朝鮮への帰国事業が再開(1984年に終了) 10月、国連で中華人民共和国の合法的権利の回復が承認される(アルバニア決議) |
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| 1972 | 第四共和国 | 2月、米大統領ニクソンが訪中し、米中共同宣言を発表(米中和解) 7月、北朝鮮と韓国が南北統一のための三原則の合意を発表(七・四南北共同声明) 9月、田中首相が訪中し、日中共同宣言を発表(日中国交正常化) 10月、非常戒厳令を宣布(10月維新)。憲法の一部条項の効力を停止、国会の解散、政治活動の禁止。 11月、維新憲法案、国民投票で成立(維新独裁体制) 12月、第1回統一主体国民会議代議員選挙。 同月、統一主体国民会議、朴正熙を大統領に選出 |
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| 1973 | 1月、朴正熙大統領が年頭の記者会見で重化学工業に重点をおくことを表明(重化学工業化宣言) 8月、金大中が東京で韓国中央情報部(KCIA) により拉致される(金大中拉致事件) |
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| 1974 | 8月、韓国独立記念日の式典で在日コリアンの青年が朴正熙大統領を狙撃し、陸英州夫人が犠牲となる(文世光事件) | |||||||
| 1975 | 4月、サイゴンが陥落し、ベトナム戦争終結 | |||||||
| 1976 | 10月、韓国中央情報部(KCIA)が在韓米軍撤収計画を阻止するため、米政界への工作を行う(コリアゲート事件) | |||||||
| 1977 | 3月、米カーター政権が在韓米地上軍撤退を表明 | |||||||
| 1979 | 7月、米カーター政権が在韓米地上軍撤退を凍結 10月、朴正熙大統領、金載圭中央情報部長に射殺される(10・26事件) |
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参考資料
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