【コラム】李誠七とその支援者たち

日韓交流の歴史と文化
関東大震災韓国人慰霊碑(寶生寺)

 

元号 西暦 出来事
明治43 1910 8月、日韓併合
大正8 1919 3月、3・1独立運動
12 1923 9月、関東大震災
三ツ沢墓地(現管理事務所の地)に朝鮮人が埋葬される
13 1924 9月、李誠七が寶生寺に朝鮮人500人、日本人1000余名を集めて朝鮮人の追悼会を開催(神奈川県朝鮮人法要会)
村尾履吉むらお のりよし(1874-1946)が三ツ沢墓地に慰霊塔を建て、追悼会を開く(横浜で殺害された朝鮮人の埋葬地として明らかな唯一の場所)
11月、李誠七が横浜の朝鮮人の相互扶助組織愛護会を結成
昭和3 1928 李誠七が横浜教会の一部門として愛隣園を組織し、園長となる。
8 1933 村尾履吉が私財を投じて三ツ沢墓地に朝鮮人共同墓地を建設し、朝鮮人納骨塔弔魂の碑を建立
10 1935 9月、李誠七が、震災当時に朝鮮人を保護した櫻井染五郎翁の謝恩会を開催
22 1947 3月、李誠七が三ツ沢の朝鮮人墓地を蓮勝寺に移転改葬。朝鮮人納骨塔弔魂の碑も移設され、新たに朝鮮人納骨塔転徏改葬記念碑が建立される
12月、李誠七が三ツ沢墓地で、故村尾履吉君墓石建立式を開催
27 1952 5月、李誠七が三ツ沢墓地に村尾履吉を称える敬慕碑を建立
9月、日本人として救難に尽力した手塚利明氏の追悼法要が開催される
34 1959 1月、李誠七没
46 1971 寶生寺に関東大震災韓国人慰霊碑が建立される
平成2 1990 11月、李誠七の遺骨が韓国天安市の国立墓地望郷の丘に移葬される

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