西暦 | 国・地域 | 出来事 | ||||||
中国 |
朝鮮 |
日本 | ||||||
57 | 後漢 | 高 句 麗 |
馬韓 | 辰韓 | 弥生時代 | 倭の奴国王が後漢に朝貢し、「漢委奴国王」の金印を下賜される | ||
220 | 魏 | 曹丕が後漢の献帝から禅譲を受け、魏を建国 | ||||||
221 | 蜀 | 劉備が漢の正統を継ぐため、蜀を建国 | ||||||
229 | 呉 | 孫権が皇帝に即位し、呉を建国 | ||||||
239 | 古墳時代 | 邪馬台国の卑弥呼が魏に朝貢 | ||||||
240 | 邪馬台国の卑弥呼が再び魏に上表 | |||||||
243 | 邪馬台国の卑弥呼が三たび魏に使節を派遣 | |||||||
245 | 魏が邪馬台国の卑弥呼に黄幢(軍旗)を下賜 | |||||||
247 | 魏が帯方郡から邪馬台国に張政を派遣 | |||||||
263 | 魏が蜀を滅ぼす | |||||||
265 | 司馬炎が魏の曹奐から禅譲を受け、西晋を建国 | |||||||
266 | 邪馬台国の壱与が西晋に使いを送る | |||||||
280 | 西晋 | 西晋が呉を滅ぼし、中国全土を統一 | ||||||
308 | 五 胡 十 六 国 |
西晋の懐帝が匈奴の首長劉聡に殺され、西晋が滅亡 | ||||||
313 | 高句麗が楽浪郡・帯方郡を滅ぼす | |||||||
317 | 東晋 | 司馬睿が建業(現在の南京)で晋王朝を復興(東晋) | ||||||
百済 | 新羅 | 百済、新羅が建国 | ||||||
372 | 百済が東晋に入朝し、冊封を受ける | |||||||
391 | 倭が高句麗を攻撃(「広開土王碑」) | |||||||
414 | 高句麗が好太王の事績を記念して広開土王碑を建立 | |||||||
420 | 宋 | 劉裕が東晋の恭帝から禅譲を受けて、南朝宋を建国 | ||||||
439 | 北魏 | 北魏の太武帝が華北を統一 | ||||||
479 | 斉 | 蕭道成が南朝宋の順帝から禅譲を受け、南朝斉を建国 | ||||||
502 | 梁 | 蕭衍が南朝斉の和帝から禅譲を受け、南朝梁を建国 | ||||||
527 | 筑紫の国造磐井が反乱を起こす(磐井の乱) | |||||||
529 | 倭が近江毛野を安羅国に派遣 | |||||||
532 | 金官国が新羅に降伏し、併合される | |||||||
534 | 西魏 | 東魏 | 北魏が東魏と西魏に分かれる | |||||
538 | 百済の聖明王が欽明天皇に仏像や経典が送る(『上宮聖徳法王帝伝』による仏教公伝) | |||||||
550 | 北斉 | 東魏の実権者高洋が北斉を建国 | ||||||
552 | 百済の聖明王が欽明天皇に仏像や経典が送る(『日本書紀』による仏教公伝) | |||||||
557 | 北周 | 陳 | 西魏の実権者宇文氏が北周を建国 南朝梁の重臣陳霸先が敬帝から禅譲を受け、陳を建国 |
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562 | 新羅が大加耶国を滅ぼし、加耶全体を併合(「任那」の滅亡) | |||||||
570 | 高句麗が倭に初めて使者を送る | |||||||
577 | 北周が北斉を滅ぼす | |||||||
581 | 隋 | 北周宣帝の外戚楊堅が政権を奪い、隋を建国 | ||||||
589 | 2月、隋が南朝陳を滅ぼし、中国全土を統一 | |||||||
592 | 飛鳥時代 | 推古天皇が即位し、明日香に都を置く | ||||||
595 | 高句麗から慧慈が渡来し、聖徳太子の仏教・政治・外交のブレインとなる | |||||||
596 | 蘇我氏が法興寺(現在の飛鳥寺)を建立 | |||||||
598 | 隋の文帝が第一回高句麗遠征 | |||||||
600 | 第一回遣隋使派遣(『隋書』倭国伝) 倭が新羅に出兵 |
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607 | 第二回遣隋使派遣 | |||||||
608 | 隋が答礼使として裴世清を倭に派遣 裴世清を送るため、第三回遣隋使派遣。高向玄理、南淵請安、僧旻、倭漢福因、恵隠らを隋に留学させる |
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612 | 隋の煬帝が第二回高句麗遠征 | |||||||
613 | 隋の煬帝が第三回高句麗遠征 | |||||||
614 | 隋の煬帝が第四回高句麗遠征 | |||||||
618 | 唐 | 李淵が隋を滅ぼして唐を建国 | ||||||
623 | 新羅から倭に仏像が送られ広隆寺に安置される | |||||||
630 | 倭が第一回遣唐使を派遣 | |||||||
645 | 2月、唐の太宗が第一回高句麗遠征 6月、倭で蘇我入鹿が誅殺される(乙巳の変) |
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646 | 倭が高向玄理を新羅に派遣 | |||||||
647 | 新羅から金春秋(のちの武烈王)が来朝 | |||||||
653 | 倭が第二回遣唐使を派遣 | |||||||
654 | 倭が第三回遣唐使を派遣 | |||||||
659 | 倭が第四回遣唐使を派遣、使節は長安に抑留される | |||||||
660 | 唐・新羅連合軍が百済を攻撃、義慈王が降伏し百済滅亡 | |||||||
663 | 倭が百済復興のため出兵(白村江の戦) | |||||||
665 | 倭が第五回遣唐使を派遣 | |||||||
668 | 唐・新羅連合軍が高句麗を滅ぼす | |||||||
669 | 倭が第六回遣唐使を派遣 | |||||||
672 | 倭で天智天皇の後継をめぐって内戦が起こる(壬申の乱) | |||||||
676 | 統一新羅 | 新羅の文武王が唐を排除し、朝鮮半島を統一 | ||||||
698 | 高句麗の遺民と靺鞨人が渤海を建国 | |||||||
702 | 倭が第七回遣唐使を派遣 | |||||||
710 | 奈良時代 | 3月、元明天皇が藤原京から平城京へ遷都(奈良時代の始まり) | ||||||
753 | 遣唐大使の藤原清河が唐の朝廷での朝賀の際、新羅と席次を争う(争長事件) | |||||||
759 | 倭が新羅遠征を計画 | |||||||
779 | 天皇が「表を将たざるものの境に入ら使むべからず」という詔を出し、新羅の使節を追い返す(新羅との国交断絶) | |||||||
784 | 11月、桓武天皇が平城京から長岡京へ遷都 | |||||||
794 | 平安時代 | 10月、桓武天皇が長岡京から平安京へ遷都(平安時代の始まり) | ||||||
828 | 新羅商人張保皐(790-841)が大宰府に来航 | |||||||
838 | 最後の遣唐使として、藤原常嗣や円仁らが渡唐 | |||||||
847 | 円仁が新羅の商船に乗って帰朝 | |||||||
892 | 後百済 | 甄萱が後百済を建国 | ||||||
901 | 弓裔が後高句麗を建国 | |||||||
907 | 遼 | 五代十国時代 | 唐が滅ぶ | |||||
918 | 後高句麗で王建が王位を奪い、高麗を建国 | |||||||
922 | 後百済から使節が来朝するが、通交を拒否 | |||||||
926 | 渤海が契丹族に滅ぼされる | |||||||
929 | 後百済から再び使節が来朝するが、通交を拒否 | |||||||
935 | 高麗が新羅を滅ぼす | |||||||
936 | 高麗 | 高麗が後百済を滅ぼし、朝鮮半島を統一 | ||||||
937 | 高麗から使節が来朝するが、通交を拒否 | |||||||
939 | 日本で平将門の乱が起こる 高麗から再び使節が来朝するが、通交を拒否 |
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940 | 高麗から三たび使節が来朝するが、通交を拒否 | |||||||
960 | 北宋 | 趙匡胤が都を開封に定め、宋を建国 | ||||||
1004 | 宋が遼を兄とする盟約を結ぶ(澶淵の盟) | |||||||
1019 | 3月、女真人の船団が対馬、壱岐、九州北部を襲う(刀伊の入寇) 9月、高麗が女真人に捕らわれていた日本人270人を送還 |
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1079 | 高麗から大宰府に医師を要請する書状が届くが、日本はこれを拒否 | |||||||
1125 | 金が遼を滅ぼす | |||||||
1127 | 金 | 南宋 | 金が北宋を滅ぼす | |||||
1170 | 高麗で鄭仲夫,李義方,李高らの武臣がクーデタを起こし実権掌握(武人政権の始まり) | |||||||
1185 | 鎌倉時代 | 源頼朝が守護・地頭の補任を勅許される | ||||||
1196 | 高麗で武臣の崔忠献が実権掌握 | |||||||
1234 | 元 | モンゴルが金を滅ぼし、華北を支配 | ||||||
1258 | 高麗王高宗が崔氏を倒し、太子倎をモンゴルに送る | |||||||
1259 | 高麗王高宗が没し、太子倎が即位(元宗) | |||||||
1268 | 高麗の使者がクビライの親書を大宰府に届けるが、日本は回答せず | |||||||
1271 | 珍島の三別抄から日本に援軍要請の書状が届く | |||||||
1273 | 4月、済州島の三別抄が元軍に鎮圧される | |||||||
1274 | 10月、元が第一次日本遠征(文永の役) | |||||||
1279 | 元が南宋を滅ぼす | |||||||
1281 | 6月、元が第二次日本遠征(弘安の役) | |||||||
1333 | 室町時代 | 鎌倉幕府が滅亡 | ||||||
1350 | 高麗で本格的な倭寇が始まる | |||||||
1366 | 高麗が日本に倭寇鎮圧を求める使者を送る | |||||||
1368 | 明 | 朱元璋が金陵(現在の南京)に都を定め、明を建国 | ||||||
1380 | 阿只抜都を首領とする倭寇が高麗を襲うが、李成桂らに討伐される | |||||||
1392 | 李氏朝鮮 | 李成桂が高麗の親元派を追放し、李氏朝鮮を建国 日本で南北朝が合体 |
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1401 | 足利義満が僧祖阿と商人肥富を使者として明に国書を送る | |||||||
1402 | 明の建文帝が日本に使者を送り、足利義満を日本国王として冊封 | |||||||
1403 | 朝鮮王太宗が明の冊封を受け、朝鮮国王に封じられる | |||||||
1404 | 明の永楽帝が義満に詔書、「日本国王之印」と勘合符を送る(日明勘合貿易の始まり) 義満、朝鮮に国書を送る(朝鮮半島の国家と600年ぶりの国交再開) |
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1419 | 足利義持が明との冊封関係の復活を拒否し、国交断絶 李氏朝鮮が兵船227艘に17000の大軍で対馬に侵攻(応永の外寇、朝鮮では己亥東征)、倭寇に拉致されていた明人131人を中国へ送還 |
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1420 | 宋希璟(1376-1446)が足利義持の遣使に対する回礼使として来日し、『老松堂日本行録』を著す。 | |||||||
1426 | 朝鮮が日本船の入港を薺浦(乃而浦)・富山浦・塩浦の三浦に限定 | |||||||
1443 | 朝鮮が日本からの歳遣船数50艘に定める(癸亥約条) | |||||||
1510 | 朝鮮の三浦に居住する日本人(恒居倭)が、対馬の支援を受けて反乱を起こす(三浦の乱) | |||||||
1512 | 朝鮮が日本からの歳遣船数25艘、開港薺浦一港に定める(壬申約条) | |||||||
1557 | 安土桃山時代 | 朝鮮が日本からの歳遣船数30艘、開港釜山一港に定める(丁巳約条) | ||||||
1592 | 4月、小西行長・宗義智率いる軍が釜山に上陸(文禄の役・壬辰倭乱) 5月、朝鮮の首都・漢城が陥落 |
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1596 | 9月、明の使節が大坂城で秀吉と会見 | |||||||
1597 | 7月、日本が朝鮮に約14万を再派兵(慶長の役・丁酉倭乱) | |||||||
1598 | 8月、秀吉が死亡し、朝鮮からの撤収が始まる | |||||||
1603 | 江戸時代 | 徳川家康が征夷大将軍となり、幕府を開く | ||||||
1605 | 朝鮮が探賊使として僧惟政を日本に派遣、京都伏見城で徳川家康・秀忠親子と会見 | |||||||
1606 | 対馬藩が朝鮮に家康の国書を持った使節を派遣し、朝鮮王室の陵墓を荒らした犯人2名を引き渡す | |||||||
1607 | 朝鮮が日本に第一回回答兼刷還使総勢500名を送り、江戸城で第二代将軍徳川秀忠と会見(朝鮮との国交回復) | |||||||
1616 | 後金 | ヌルハチが後金国を建国 | ||||||
1617 | 朝鮮が大坂の陣での豊臣氏滅亡を祝し、第二回回答兼刷還使を派遣 | |||||||
1624 | 朝鮮が家光の第三代将軍就任を祝し、第三回回答兼刷還使を派遣 | |||||||
1627 | 後金が朝鮮に侵攻 | |||||||
1635 | 家光が対馬藩の国書改竄問題について裁判を行い、対馬藩家老の柳川調興を流配に処す 日本人の海外渡航を禁止 |
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1636 | ホンタイジが後金の国号を清に改める 朝鮮が日本に通信使の派遣を再開 清の太宗ホンタイジが朝鮮に侵攻(丙子の乱) |
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1637 | 朝鮮の仁宗が清に降伏し、臣従を約し(三田渡の盟約)、丁丑約条を結ぶ | |||||||
1639 | ポルトガル船の来航を禁止 | |||||||
1641 | オランダ商館を出島に移転 | |||||||
1644 | 清 | 李自成の乱に乗じて、清が北京に遷都 | ||||||
1864 | 朝鮮で興宣大院君が高宗の実父として朝鮮の国政を掌握 | |||||||
1866 | 興宣大院君がフランス人神父9名やカトリック信者約8,000名を捕らえて処刑(丙寅教獄) | |||||||
1868 | 明治時代 | 12月、維新政府が対馬藩を通じて朝鮮に王政復古を伝える書契を送る | ||||||
1873 | 朝鮮への使節派遣をめぐり、維新政府内で征韓派と内治派の意見対立が起こり、西郷隆盛ら征韓派の5参議が下野(明治六年政変) 朝鮮で興宣大院君が失脚し、高宗の王妃閔氏の一族を中心とする閔氏政権が成立 |
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1874 | 5月、台湾原住民による日本人漂流民殺害の責任追及を理由に、日本政府が台湾に軍を派遣(台湾出兵) | |||||||
1875 | 9月、朝鮮本土と江華島との間を航行中の日本の軍艦雲揚号が砲撃を受け、仁川対岸の永宗島を攻撃(江華島事件) | |||||||
1876 | 2月、日本と朝鮮と間で①朝鮮の中国冊封体制からの独立、片務的な②領事裁判権の設定、③関税自主権の喪失を内容とする条約が締結される(日朝修好条規) | |||||||
1881 | 朝鮮の開国をめぐり、衛正斥邪派と開化派がそれぞれ上訴運動を行う | |||||||
1882 | 開化政策の中で冷遇された旧式軍隊の兵士と下層民衆が日本公使館を襲撃(壬午軍乱) | |||||||
1884 | 12月、朝鮮で金玉均ら急進開化派がクーデターを起こし、閔氏政権の要人を殺害(甲申事変) | |||||||
1885 | 2月、急進開化派の父母妻子が処刑される 3月、福澤諭吉が発行する『時事新報』に「脱亜論」と題する社説が掲載される 日本と清が①朝鮮からの撤兵と②出兵の際の事前通告を内容とする条約を締結(天津条約) |
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1894 | 8月、日本が清国に宣戦布告(日清戦争) | |||||||
1895 | 4月、日本と清国が朝鮮の独立自主と清国への貢献典礼の廃止を内容とする講和条約を締結(下関条約) 10月、日本公使三浦梧楼に動員された日本人の一団が景福宮に侵入し、閔妃を殺害(乙未事変) |
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1897 | 10月、朝鮮の高宗が皇帝に即位し、国号を大韓と改める | |||||||
1904 | 2月、日本とロシアが朝鮮半島の支配権をめぐり開戦(日露戦争) 8月、日本が韓国に日本人の財務顧問、外国人の外交顧問各1名を招聘し、外国との条約締結などの際は日本と協議することとを認めさせる(第一次日韓協約) |
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1905 | 11月、日本が韓国の外交権を剥奪し、統監府を置いて保護国化するこことを認めさせる(第二次日韓協約) | |||||||
1907 | 6月,オランダで開かれた第2回ハーグ平和会議に高宗が密使を派遣(ハーグ密使事件) 7月、日本が韓国に統監による行政・司法の指導と日本人官僚の採用を認めさせ(第3次日韓協約)、8月、韓国軍を解散させる |
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1910 | 8月、韓国の統治権を日本に譲渡(韓国併合条約) 明治天皇が勅使を派遣し、純宗を李王として冊封 10月、初代朝鮮総督に寺内正毅が就任、①総督武官制、②憲兵警察制による武断統治を開始 |
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1912 | 中華民国 | 大正時代 | ||||||
1919 | 3月、朝鮮で宣言文が発表され、運動が各地に波及する(三一独立運動) 4月、日本軍が朝鮮提岩里の住民29名を殺害(提岩里事件) 8月、第三代朝鮮総督に斎藤実が就任し、①総督武官制の廃止、②憲兵警察制度の廃止などの文化政治を開始 |
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1923 | 9月、関東大震災が発生、各地で朝鮮人・中国人が虐殺される | |||||||
昭和時代 | ||||||||
1931 | 9月、日本の関東軍が奉天郊外の柳条湖で鉄道を爆破、これを口実に満洲全域を占領(満州事変) | |||||||
1936 | 8月、ベルリンオリンピックのマラソンで金メダルを獲得した孫基禎の写真を「東亜日報」が胸の日の丸を消して掲載したため、記者が逮捕され、同紙が発刊停止処分となる(日章旗抹消事件) | |||||||
1938 | 3月、朝鮮で陸軍特別志願兵令が公布される | |||||||
1939 | 4月、朝鮮の学校で朝鮮語の時間を全廃 | |||||||
1940 | 2月、朝鮮で日本風の氏名への改名が推進される(創氏改名) | |||||||
1941 | 12月、日本が米英など連合国に宣戦布告(太平洋戦争) | |||||||
1942 | 7月、朝鮮語学会を民族主義集団として検挙(朝鮮語学会事件) | |||||||
1943 | 7月、朝鮮で海軍特別志願兵令が公布される | |||||||
1944 | 朝鮮で徴兵制を開始 | |||||||
1945 | ソ連軍政 | 米軍政 | 北緯38度線を境に、北をソ連軍、南を米軍が軍政下に置く | |||||
1948 | 北朝鮮 | 韓国 | 8月、李承晩が大韓民国政府樹立を宣言 9月、金日成が朝鮮民主主義人民共和国樹立を宣言 |
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1949 | 中華人民共和国 | 10月、中国共産党が内戦に整理し、中華人民共和国樹立を宣言 |
日韓交流史年表
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