卑弥呼と神功皇后

日韓交流の歴史と文化

共同研究

 古代から近代まで、日本は繰り返し朝鮮半島への版図拡大を試みてきました。白村江の戦い、秀吉の朝鮮出兵、そして日韓併合。
 しかし、戦いに人々を動員するためには、その正当性を示す“歴史”――人々が共有する物語が必要です。日本はどのような“歴史”を掲げて、朝鮮半島への侵攻を正当化してきたのでしょうか。
〔キーワード〕
 神功皇后、三韓征伐、古事記、日本書紀、八幡愚童訓、秀吉の朝鮮出兵、征韓論、魏志倭人伝、卑弥呼、本居宣長、馭戎慨言、邪馬台国九州説

参考資料

  1. 吉野誠『東アジア史の中の日本と朝鮮』(明石書店 2004年)
     そもそも畿内説の出発点は、『日本書紀』が神功皇后紀の注にわざわざ『倭人伝』を引用したことにありました。大和朝廷が朝鮮諸国を服属させたという物語の主人公となっているのが神功皇后なのですが、それと卑弥呼とが同一人物であることをにおわせるのは、虚構性の強い神功皇后に実在性をもたせるための手段だったとおもわれます。しかし、それは同時に、大和朝廷が中国皇帝に臣属していたと公言することをも意味しました。(中略)
     九州説をとれば、大和朝廷の統一以前に別の国家が存在したことを明確にすることになり、一方で畿内説をとれば、早くから大和朝廷の統一を主張できるものの、大和朝廷が中国王朝への臣属から出発していた事実を暴きだすことになってしまいます。今日においても、神話の世界から日本史の叙述をはじめたり、大和朝廷の一貫性と自律性を強調しようとするむきには、依然として卑弥呼の存在が目障りなものであり、『倭人伝』の価値をなるべく低くみたいという事情に変わりはないもののようにおもわれます。(pp.32-33)
  2. 『日本書紀』巻9気長足姫尊(神功皇后)
  3. 飯田弟治『新訳日本書紀』(嵩山房1912年)
  4. 佐伯真一「神功皇后説話の屈折点」(『日本文学』第67 巻第1号、2018年)
  5. 『八幡愚童訓(上)』(慶応義塾大学メディアセンター蔵)
    image22に「新羅国大王者日本之犬也」という一句がある。
  6. 文部省編『初等科国史(上)』(東京書籍 1943年)

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