日中文化交流史のすすめ─相互理解のための“ 温故知新”

 日本の内閣府政府広報室は、毎年「外交に関する世論調査」というのを行っています。その中に「中国に対する親近感」という一項目があります。調査結果を見ると、1980年には「中国に親しみを感じる」と答えた人が76.8%だったのに対し、一昨年は12.7%と、40数年の間に激減してしまいました。
 なぜなのでしょうか。政治的あるいは経済的な理由もあるでしょう。しかし何より憂慮されるのは、二千年にわたる日中交流の歴史への理解が失われつつあることである。
 米中対立の中で、米国と同盟関係にある日本では、中国の脅威ばかりが喧伝され、これまで憲法の下で守られてきた平和主義がなし崩しにされようとしているのです。
 しかし、日中の二千年にわたる交流史を振り返ってみると、モンゴルの統治下で起こった元寇を除き、中国が日本に対して武力侵攻を行ったことはありません。それどころか、663年の白村江の戦い以来、4回に及んだ日本による朝鮮半島や中国本土への武力侵攻の際も、最初に和平の手を差し伸べたのは中国でした。それは元寇の場合も例外ではありません。開戦の直前まで使節が派遣され、外交による戦いの回避が模索されていたのです。
 これは古代の話だけではありません。第二次世界大戦後、連合国が各地で行った戦犯裁判では、起訴された日本人戦犯約5600人中、約1000人が処刑されました。ところが、1956年に中国が行った特別軍事法廷では、民間人の虐殺などで起訴された1069人中、処刑された者は一人もなく、最終的に全員が帰国を許されたのです。
 本発表では、こうした日中間の過去5回の紛争の歴史を振り返りながら、中国側がいかに紛争の解決を図り、その後再び訪れた平和が日本文化の発展にどのような影響を与えたのかを考えてみたいと思います。

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