玄奘の普賢菩薩像にせよ、称徳天皇の百万塔陀羅尼せよ、日中両国の印刷は、いずれも仏教の必要性から発展したものでした。
しかし中国では、五代十国時代の戦乱の中で門閥貴族が没落し、科挙出身の文人官僚が政治の実権を握ると、国家事業として儒教経典を出版したり、教育の普及によって民間の出版業が発展するなど、書籍の量産化や商品化が一挙に進みました。
一方、同じころ日本では、藤原道長の『御堂関白記』にこんな記事があります。
(寛弘六年(1009年))十二月十四日、中宮(一条天皇の皇后である道長の娘彰子――引用者)の御産のため願を立てて数体の等身大の仏像を造りはじめ、また内裏では勅願により千部の法華経を摺りはじめた。
奈良時代の百万塔陀羅尼と同じく、平安時代の印刷も、仏の加護を求めて同じ経典を大量印刷する摺経が中心でした。
鎌倉時代になると、各地の寺で書籍の出版が始まりますが、そのほとんどは仏書で、開板するのも専門の刻工ではなく、僧侶や仏師たちでした。
ところが鎌倉時代の末から室町時代になると、京都や鎌倉の五山禅院では、仏書ばかりでなく、外典(儒教や詩文などの漢籍)も開板されるようになります。これは元代に禅僧の交流が盛んになり、仏教以外の教養も必要となったからです。さらに元末明初になると、戦乱を逃れて多くの刻工たちが日本に渡ってきました。中原師守の日記によれば、元朝が滅びる前年の1367年には、一度に8人もの刻工が来日したといいます。
今日唐人八人が嵯峨につく。これはある僧が去年唐に渡り、日本に渡らせた唐人たちで、版木を作る者たちである。(『師守記』貞治六年(1367年)七月廿一日)
専門の刻工の中には、営利を求めてこっそり人の原稿を出版する輩もいたようです。被害を受けた義堂周信は、日記の中でこう不満を述べています。
この書(『貞和集』)は私が貞和年間、23歳の時、京都の亀峰で編んだ祖師たちの偈集である。その偈は初め数千首あったが、のちに3巻に刪訂して千五百首を収め、『貞和集』と題して、陽谷()師の楷書の筆を借り、開板して流通しようとしたものである。たまたま延文三年(1358年)の春に火事に遭い、この本は烏有に帰してしまった。いまのこの刊本は刪訂前の草稿であるが、どこかの刻工が儲けようと勝手に写して刊行したものである。誤字や脱字があるばかりでなく、篇次も乱れ、誤りを上げればきりがない。(『空華老師日用工夫略集』応安八年(1375年)四月十六日)
▼版木を彫る職人(十返舎一九画『的中地本問屋』1802年刊 東京都中央図書館蔵).jpg)
▼紙を摺る職人(十返舎一九画『的中地本問屋』1802年刊 東京都中央図書館蔵)-1024x765.jpg)
▼丁合をとる職人(十返舎一九画『的中地本問屋』1802年刊 東京都中央図書館蔵)-1024x769.jpg)
▼天地を裁ち揃える職人(十返舎一九画『的中地本問屋』1802年刊 東京都中央図書館蔵)-1024x767.jpg)
▼草紙を綴じる職人(十返舎一九画『的中地本問屋』1802年刊 東京都中央図書館蔵)-1024x785.jpg)
日本印刷・出版関連年表
| 西暦 | 和暦 | 出来事 |
| 986 | 寛和2 | 奝然(938~1016)が宋の太宗から北宋版『一切経』を賜って日本への帰途につき、途中でインドの優填王が造立したという釈迦如来立像を模刻し、胎内にその由来記などを納めて帰国 |
| 1009 | 寛弘6 | 12月14日、中宮(彰子)御産間立願数躰等身御佛造初、又大内御願千部法華経摺初。(藤原道長『御堂関白記』) |
| 1080 | 承暦4 | 『法華経』巻二(同年の墨書紀年あり) |
| 1088 | 寛治2 | 『成唯識論』(奈良の学問僧のテキスト) |
| 1091 | 寛治5 | 『孔雀明王経』下巻(同年の墨書紀年あり 大東急記念文庫蔵) |
| 1119 | 元永2 | 『成唯識論述記』(奈良の学問僧のテキスト) |
| 1162 | 応保2 | 摺仏毘沙門天像(同年の墨書紀年あり) |
| 1283 | 弘安6 | 『伝心法要』が出版される(初期の五山版) |
| 1321 | 元亨元 | 『黒谷上人語燈録』(ひらがなを付した最古の版本) |
| 1325 | 正中2 | 『寒山詩』(漢籍最古の出版物) |
| 1367 | 貞治6 | (7月21日)今日、唐人八人付嵯峨、是爲菩薩去年渡唐渡日本唐人也。形木開之輩也。(中原『師守記』) |
| 1370 | 応安3 | (9月22日)唐人刮字工陳孟千、陳伯寿二人来、福州南台橋人也。丁未年(貞治六年)七月到岸。大元失国、今皇帝改国爲大明。(『空華日工集』) |
| 1375 | 応安8 | (4月16日)書「新刊『貞和集』后」。即少室所藏本也。曰:此書乃余貞和間二十三歲在京師龜峰所撰諸祖偈集也。其偈初數千首,後刪成三卷,共收一千五百首,仍命曰『貞和集』。而假筆向陽谷者楷書一本,欲鏤諸梓而流通之。會戊戌春遽爾為祝融氏所奪,其本遂成烏有矣。今此印本乃未删以前藁本也。不知何處俗工鬻利者,妄寫且刊。烏焉成馬,不特成馬,或脫一字,或漏一字,或全篇失次,其錯誤不可勝言。余適欲重加校讎改刊,未暇也。今承興國室翁命俾整理兹編,不免轍加塗竄,遇其疑者則但加朱點以俟好本也。噫,根銀妄改,千古貽笑。余恐它日與彼妄刊者併案。(『空華老師日用工夫略集』(正徳3年(1713年))→図書寮文庫)(『訓注空華日工集』→国立国会図書館デジタルコレクション) |
参考資料
- 諏訪春雄『出版事始 : 江戸の本(江戸シリーズ 11)』(毎日新聞社 1978年)→国立国会図書館デジタルコレクション
- 川瀬一馬『入門講話日本出版文化史(エディター叢書33)』(日本エディタースクール出版部 1983年)→国立国会図書館デジタルコレクション
- 張秀民著・広山秀則訳『中国の印刷術:その歴史的発展と影響』(関出版 1960年)→国立国会図書館デジタルコレクション
- 川瀬一馬「五山版の刻工について」(『書誌学』第17号 1969年11月)→国立国会図書館デジタルコレクション
- 蔭木英雄『訓注空華日用工夫略集:中世禅僧の生活と文学』(思文閣出版 1982年)→国立国会図書館デジタルコレクション
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