【コラム】雪舟が中国留学で得たものとは?

日中交流の史跡と文化
雪舟石造(井山宝福寺)

新井梨紗 清水玲奈

 雪舟の作品は、天橋立図、秋冬山水画、四季山水図巻、破墨山水図、慧可断臂図、山水図の計6作品が国宝指定されており、画家の中では最多です。また重要文化財に指定されている作品も19点あります。
 このように、いまでは日本中世を代表する画家として知られる雪舟ですが、その前半生は名もない一画僧に過ぎませんでした。
 雪舟に転機が訪れたのは1467年、47歳の雪舟は遣明使の一員として、中国を訪れることになります。この旅を契機として、雪舟は独自の画風を確立し、高い評価を得るようになります。では、なぜ中国への旅が転機になったのでしょうか。これには2つの理由があったようです。
 一つは、雪舟が中国で高い評価を受けたことです。雪舟が、当時礼部尚書(外務省兼文科省の大臣に当たる)であった姚虁の依頼で北京礼部院の中堂の壁に絵を描き、高い評価を得たことは、ともに明に渡った呆夫良心らによって日本に伝えられていました1。中国のお墨付き得たことにより、雪舟は一躍、名画僧の仲間入りを果たすことができたのです。
 もう一つは、日本の絵に自信を持ったことです。雪舟は相国寺の僧・彦龍周興にこう言ったといいます。「大唐国裏に画師なし」2。もっとも綿田稔氏によれば、これは(宋)雪竇重顕せっちょうじゅうけん『碧巌録』の中の「大唐国裏に禅師なし」3をふまえた表現であり、雪舟が実際にそういったかどうかは疑問だといいます4。では、雪舟は明の画壇の実状を見て、どのようなことを考えたのでしょうか。弟子の如水宗淵に贈った「破墨山水図」の自題に、雪舟はこう記しています。
「私はかつて明に行き、長江を渡り、斉、魯を経て、都に至り、画師を求めた。しかし優れた技法を持つ者はほとんどなく、当時は長有声と李在の二人が有名で、ともに彩色や墨使いの技法を伝えていた。数年後、帰国すると、わが祖如拙・周文の両翁が作った手本が、みな先人の作を増減することなく継承していることを知った。日中(の画壇)を見て、あらためて両翁の意識の高さに敬意を持った」5
 日本で如拙・周文の両師から学んだ絵は、けっして中国に劣るものではなかった。こうして自信をつけた雪舟は、中国絵画の模倣ではない独自の画風を確立し、現在国宝や重要文化財に指定されている数々の名作を生み出したのです。
 さて、そんな雪舟の出身地、岡山県総社市には、雪舟が小僧さんだったころ、涙で鼠を描き、和尚さんを驚かせたという井山宝福寺6がいまも残っています。また、2020年11月21日には、彼の生誕600年を記念して雪舟生誕地公園が開園し、枯山水の庭や桜・モミジの景観を楽しめるほか、園内の展示交流施設では雪舟の生涯や功績も紹介されています。

  1. 「尚書姚公(姚虁)は公(雪舟)に命じて、北京礼部院の中堂の壁に絵を描かせ、こう言った。『いま重訳入貢(いくつかの通訳を通して始めて言葉が通じるような遠邦からの朝貢)する国は、ほとんど三十余国に到った。しかし、公が描くほどの絵は見たことがない。礼部は科挙を司るので、わが国の名士はみなこの堂に集まる。その際には諸生を呼んで、壁の絵を指してこう言おう。これは日本の楊雪舟の絵だ。外国人でさえ、これほどの技量を有するのだ。お前たちも、それぞれ学業に励めば、この域に達せぬはずはない』と。」まさに大国(明)においてさえ、これほどの称賛を受けたのである。」(呆夫良心『天開図画楼記』( )内は引用者)
  2. 彦龍周興「四景図一景一幅楊知客筆」(『半陶文集』所収)
  3. (宋)雪竇重顕『碧巌録』第十一則
  4. 綿田稔「雪舟入明―ひとりの画僧に起こった特殊な事件」(美術研究第381号 2004年3月)
  5. 雪舟筆[国宝]「破墨山水図」自題(明応4年(1495)東京国立博物館蔵)
  6. 狩野永納『本朝画史』巻第3 僧雪舟
     雪舟は十二、三歲になると、父に連れられ州の井山宝福寺に行き、一人の僧の弟子となった。雪舟は幼いころから絵を好み、お経を学ぼうとしなかった。ある朝、師僧が怒って雪舟を御堂の柱に縛った。日がしだいに暮れると、師僧は憐れに思い、御堂に行って縄を解こうとした。その時、雪舟の膝の下から鼠が驚いて逃げ出した。師匠も驚き、雪舟に怪我をさせてはいけないと、急いで追い払おうとした。ところが鼠は動こうとしない。師僧が不思議に思って見てみると、雪舟は終日の(お仕置きの)つらさに涙を流し、その涙で足の親指を使い御堂の床に鼠を描いたのだ。それはまるで生きた鼠が走っているようだった。師僧は感服し、それからは絵を描くの戒めなくなったという。
    (或曰雪舟及十二三歲,其父携之投州井山寳福寺而為一僧弟子。雪舟自幼好畫不事經卷,一朝師僧大怒,縛雪舟於堂柱。日漸及暮,師僧又憐之,自到堂上將解縛索。于時,雪舟膝下鼠驚走。師僧亦驚騷,恐傷雪舟,急逐之,然鼠不動搖。師僧恠見之,雪舟終日愁苦之所致,淚淚滴堂,雪舟自以脚大拇指點淚畫鼠於堂板,其勢恰似活鼠奔走之體。於是師僧服其妙,自是後不戒畫。)

▼雪舟筆[国宝]「破墨山水図」自題
【出典】東京国立博物館

臨済宗東福寺派 井山宝福寺
〒719-1157 岡山県総社市井尻野1968
TEL:0866-92-0024

▼井山宝福寺方丈【出典】井山宝福寺提供


雪舟生誕地公園

〈資料館〉
 展示スペースでは、雪舟の生涯・功績の紹介や雪舟の作品などを展示されています。またモニターで雪舟関連動画が上映されています。また雪舟の「涙でネズミを描いた伝説」にちなんで、館内には写真を撮るとネズミが浮き出て見える仕掛けがあり、楽しんで雪舟について学ぶことができます。
〈陶板画〉
 雪舟の作品のうち「国宝」に指定されている6点全ての作品を精密に再現されています。退色や風化のない素材で作成しているため,実際に触れることができます。
〒719-1121
岡山県総社市赤濱2025番地
TEL:0866-90-2025

参考資料

  1. 綿田稔「雪舟入明―ひとりの画僧に起こった特殊な事件」(美術研究第381号 2004年3月)
  2. 橋本雄「雪舟入明再考」(美術史論叢33、2017年)
  3. 「雪舟研究の最前線-文化財情報資料部研究会の開催」(東京文化財研究所 2017年8月)
  4. 東京国立博物館研究情報アーカイブズ https://webarchives.tnm.jp/

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