第23回 誤訳を越えた友好

日中交流の史跡と文化
(左)周恩来総理 (右)田中角栄首相

 1972年、田中角栄首相が、国交正常化交渉のために訪中した時のこと。歓迎晩餐会でのスピーチで、田中首相は過去の歴史について、こう謝罪しました。
 「過去数十年にわたって、日中関係は遺憾ながら不幸な経過を辿(たど)って参りました。この間、我が国が中国国民に多大のご迷惑をおかけしたことについて、私は改めて深い反省の念を表明するものであります」
 日本側の通訳がこれを中国語に訳した瞬間、会場に緊張が走りました。日本側の通訳原稿では、「ご迷惑をおかけした」が「添了麻煩」と訳されていたのです。「添了麻煩」は「面倒をかけた」というほどの意味。これが謝罪の言葉か!と、米国生まれの若き女性外交官・唐聞生などは、激怒したといいます。
 晩餐会は和やかに閉幕しましたが、翌日の首脳会談では、周恩来首相がこのスピーチに猛然と抗議しました。いつも穏やかな周首相が、怒髪天どはつてんをつくばかりの怒りを示したことで、日本側は大慌て。大平正芳外相などは、食事も喉を通らなかったといいます。
 この抗議に対して、田中首相はこう反論しました。
 「ご迷惑をかけたという言葉は、そんな軽々しい内容のものではない。わたしは誠心誠意を込めて、申し訳ないという心情をそのまま表現したのだ」
 田中首相がいうとおり、この「ご迷惑をかけた」というのは、土下座外交と非難されないために、彼が苦心して選んだ謝罪の言葉でした。実際、この年初めの衆議院予算委員会でも、彼はこう述べています。
「(私も)満ソ国境へ一兵隊として行って勤務したことがあります。日中国交正常化の第一番目に大変ご迷惑をかけました、心からおわびをしますという気持ち、やはりこれが大前提になければならないという気持ちは、いまも将来も変わらないと思います」
 この難局を救ったのが、かつての日本留学生たちでした。交渉の場には、廖承志りょうしょうしや張香山などの元留学生たちが、外交部顧問として加わっていました。彼らは日本語の原文に込められた真意を汲み取り、双方が受け入れられる表現を探りました。
 こうして生まれたのが、日中共同声明の中の次の一節でした。
「日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」
 かつて日本に留学した若者たちが、日中の国交正常化を舞台裏で支えていたのです。

▼廖承志(2列目左から1番目、早稻田大学第一高等学院にて、1928年)

▼張香山(右、左は魏晋、東京高等師範留学時代 1930年代)

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