日中文化交流史年表(作成中)

日中交流の史跡と文化
何紹教画「鑑真東渡」

日中文化交流史年表

西暦 国・地域 出来事
中国
朝鮮
日本
BC108 前漢 衛氏
朝鮮
 
辰韓
弁韓 弥生時代 漢の武帝が衛氏の古朝鮮を滅ぼし、楽浪・真蕃・玄菟・臨屯の四郡を置く
 

楽浪郡など漢の直轄郡 馬韓  
57 後漢 倭の奴国王が後漢に朝貢し、「漢委奴国王」の金印を下賜される
189 遼東太守公孫度が楽浪郡を支配
204 公孫康が帯方郡を置く
220     曹丕が後漢の献帝から禅譲を受け、魏を建国
221 劉備が漢の正統を継ぐため、蜀を建国
229 孫権が皇帝に即位し、呉を建国
238 魏が公孫氏を滅ぼす
239 古墳時代 邪馬台国の卑弥呼が魏に使節を派遣(第一回)
240 帯方郡の使者が親魏倭王の金印などを齎す(第一回魏使)。卑弥呼が答謝の上表を使者に託す
243 邪馬台国の卑弥呼が魏に使節を派遣(第二回)
247 魏が帯方郡から邪馬台国に張政を派遣(第二回魏使)
263   魏が蜀を滅ぼす
265   司馬炎が魏の曹奐から禅譲を受け、西晋を建国
266 邪馬台国の壱与が西晋に使いを送る(謎の四世紀の始まり)
280 西晋 西晋が呉を滅ぼし、中国全土を統一
308



  西晋の懐帝が匈奴の首長劉聡に殺され、西晋が滅亡
313 高句麗 百済 高句麗が楽浪郡・帯方郡を滅ぼす
317 東晋 司馬睿が建業(現在の南京)で晋王朝を復興(東晋)
  新羅 4世紀初め、百済、新羅が建国
346 百済で近肖古クンサゴ王が即位
356 新羅で奈勿ネムル王が即位
372 百済が東晋に入朝し、冊封を受ける
前秦から高句麗に僧が派遣され、仏像と経文を伝える
百済の使者久氐が来朝し、服属のしるしに七支刀を献上(神功皇后52年を干支二運繰り上げ説により120年繰り下げ)
384 東晋から百済へ仏教が伝わる
391 倭が海を渡り、百済・新羅を攻撃(「広開土王碑」)
400 高句麗が新羅に援軍を送り、倭を撃退(「広開土王碑」)
413 倭讃が東晋に使節を派遣(『晋書』安帝紀、『南史』夷貊伝)(第一回倭使謎の四世紀終了)
414 高句麗が好太王の事績を記念して広開土王碑を建立
420 劉裕が東晋の恭帝から禅譲を受けて、南朝宋を建国
425 倭王讃が宋に司馬曹達を派遣(『宋書』夷蛮伝)(第二回倭使
430 倭国王、宋に使節を派遣(『宋書』文帝紀)(第三回倭使
438 倭国珍、宋に使節を派遣し、安東将軍・倭国王を授けられる(『宋書』文帝紀、夷蛮伝)(第四回倭使
439 北魏 北魏の太武帝が華北を統一
443 倭国王済、宋に使節を派遣し、安東将軍・倭国王を授けられる(『宋書』夷蛮伝)(第五回倭使
451 倭国王済、宋から使持節・都督六国諸軍事を加授される(『宋書』夷蛮伝)(第六回倭使
460 倭国王興が宋に使節を送る(第七回倭使
461 百済の加須利君(蓋鹵王)が弟の昆支王を人質として倭に送る
462 倭国王興が宋の孝武帝から安東将軍を授けられる
464 雄略天皇が身狭村主青と檜隈民使博徳を呉に送る(『日本書紀』雄略紀)
475 高句麗が百済の漢城を陥れ、蓋鹵王ら王族を殺害。
476 雄略天皇が百済汶洲王(文周王)に久麻那利(熊津城、公州)の地を与え、漢城(ソウル)から遷都させる(『日本書紀』雄略紀)
477 百済の文周王が没し、三斤王(文斤王)即位
478 倭国王武が宋に使節を送る(第八回倭使
479 蕭道成が南朝宋の順帝から禅譲を受け、南朝斉を建国
百済の三斤王(文斤王)没。雄略天皇が筑紫の国軍五百人を護衛につけ、東城王を百済に送る(『日本書紀』雄略紀)
倭国王武が斉の高帝から使持節・都督、倭・新羅・任那・加羅・秦韓・慕韓諸軍事、安藤大将軍に除される
500 新羅で智証王が即位
501 百済東城王が没し、弟の武寧王が即位
502 蕭衍が南朝斉の和帝から禅譲を受け、南朝梁を建国
514 新羅で法興王が即位
527 筑紫の国造磐井が反乱を起こす(磐井の乱
529 倭が近江毛野を安羅国に派遣
532 金官国が新羅に降伏し、併合される
534 西魏 東魏 北魏が東魏と西魏に分かれる
538 百済が熊津城(公州)から泗泚城(扶余)へ遷都
百済の聖明王が欽明天皇に仏像や経典が送る(『上宮聖徳法王帝伝』による仏教公伝)
541 百済の都泗沘城で任那復興会議が開催される
544 百済の都泗沘城で任那復興会議が開催される
550 北斉 東魏の実権者高洋が北斉を建国
552 百済の聖明王が欽明天皇に仏像や経典が送る(『日本書紀』による仏教公伝)
554 百済の聖王が新羅との戦いで戦死
557 北周 西魏の実権者宇文氏が北周を建国
南朝梁の重臣陳霸先が敬帝から禅譲を受け、陳を建国
562 新羅 新羅が大加耶国を滅ぼし、加耶全体を併合(「任那」の滅亡)
570 高句麗が倭に初めて使者を送る
577   北周が北斉を滅ぼす
581 北周宣帝の外戚楊堅が政権を奪い、隋を建国
587 崇仏派の蘇我馬子らが廃仏派の物部守屋を討伐(丁未の乱
589   2月、隋が南朝陳を滅ぼし、中国全土を統一
592 飛鳥時代 推古天皇が即位し、明日香に都を置く
595 高句麗から慧慈が渡来し、聖徳太子の仏教・政治・外交のブレインとなる
596 蘇我氏が法興寺(現在の飛鳥寺)を建立(高句麗の建築様式の影響?)
598 隋の文帝が第一回高句麗遠征
600 第一回遣隋使派遣(『隋書』倭国伝)
倭が新羅に出兵
601 倭が高句麗・百済に使節を派遣して新羅攻撃を協議
607 第二回遣隋使派遣
608 隋が答礼使として裴世清を倭に派遣
裴世清を送るため、第三回遣隋使派遣。高向玄理、南淵請安、僧旻、倭漢福因、恵隠らを隋に留学させる
612 隋の煬帝が第二回高句麗遠征
613 隋の煬帝が第三回高句麗遠征
614 隋の煬帝が第四回高句麗遠征
618 李淵が隋を滅ぼして唐を建国
623 新羅から倭に仏像が送られ広隆寺に安置される(広隆寺の弥勒菩薩像か?)
630 倭が第一回遣唐使を派遣
632 第一回遣唐使犬上御田鍬を送って、高表仁が来日するが、礼を争って帰国
640 第二回遣隋使とともに渡海した高向玄理が、新羅を経て32年ぶりに帰国
642 高句麗で泉蓋蘇文がクーデターを起こす
百済の義慈王が新羅に侵攻
新羅が金春秋(のちの武烈王)を高句麗に派遣
643 新羅が唐に使者を送り、救援を要請
645 2月、唐の太宗が第一回高句麗遠征
6月、倭で蘇我入鹿が誅殺され(乙巳の変)、高向玄理と僧旻を国博士に任ずる
646 倭が高向玄理を新羅に派遣
647 新羅が金春秋(のちの武烈王)を倭に派遣
唐が第二回高句麗遠征
648 唐が第三回高句麗遠征
新羅が金春秋(のちの武烈王)を唐に派遣
649 新羅が唐の衣冠礼服の制度を採用
650 新羅が独自の年号を廃し、唐の年号を採用
651 新羅の貢調使が唐風の官服で来朝、大宰府は非礼として追い返す
653 倭が第二回遣唐使を派遣
654 倭が第三回遣唐使を派遣
新羅の武烈王(金春秋)即位
高向玄理
659 倭が第四回遣唐使を派遣、使節は長安に抑留される
660   唐・新羅連合軍が百済を攻撃、義慈王が降伏し百済滅亡
661 新羅の武烈王(金春秋)没
倭が百済の遺臣鬼室福信らの要請により、人質となっていた余豊璋を五千の兵をつけて帰国させる
663 倭が百済復興を支援するため、上毛野稚子を将軍とする二万七千の軍勢を派兵(白村江の戦
664 倭が対馬・壱岐・筑紫に防人と烽火を置く
665 倭が第五回遣唐使を派遣
668   唐・新羅連合軍の攻撃により高句麗滅亡
669 倭が第六回遣唐使を派遣(こののち33年にわたり遣唐使の派遣を中断)
670 新羅が旧百済領に侵攻し、朝鮮半島で羈縻政策を進める唐と対立(羈縻政策とは、帰順した諸民族地域に羈縻州を置き、都督府の督察下での自治を認める間接統治策)
672 倭で天智天皇の後継をめぐって内戦が起こり(壬申の乱)、勝利した大海人皇子が即位して天武天皇となり、皇后であとを継いだ持統天皇とともに唐の律令制度を導入
676 統一新羅 新羅が伎伐浦で唐軍を破り、旧百済領全域を支配し、唐の羈縻政策を排除
698 高句麗の遺民と靺鞨人が渤海を建国
702 倭が国号を日本と改め、第七回遣唐使を派遣
710 奈良時代 3月、元明天皇が藤原京から平城京へ遷都(奈良時代の始まり)
720 『日本書紀』が成立
753 遣唐大使の藤原清河が唐の朝廷での朝賀の際、新羅と席次を争う(争長事件
759 倭が新羅遠征を計画
779 天皇が「表を将たざるものの境に入ら使むべからず」という詔を出し、新羅の使節を追い返す(新羅との国交断絶
784 11月、桓武天皇が平城京から長岡京へ遷都
794 平安時代 10月、桓武天皇が長岡京から平安京へ遷都(平安時代の始まり)
828 新羅商人張保皐(790-841)が大宰府に来航
838 最後の遣唐使として、藤原常嗣や円仁らが渡唐
847 円仁が新羅の商船に乗って帰朝
892   後百済   甄萱が後百済を建国
901   弓裔が後高句麗を建国
907 五代十国時代 唐が滅ぶ
918 後高句麗で王建が王位を奪い、高麗を建国
922 後百済から使節が来朝するが、通交を拒否
926 渤海が契丹族に滅ぼされる
929 後百済から再び使節が来朝するが、通交を拒否
935     高麗が新羅を滅ぼす
936 高麗   高麗が後百済を滅ぼし、朝鮮半島を統一
937 高麗から使節が来朝するが、通交を拒否
939 日本で平将門の乱が起こる
高麗から再び使節が来朝するが、通交を拒否
 
 
 

コメント