なぜ中国で火薬が発明されたのでしょうか。その理由の一つに豊富な硝石があります。火薬の作成に必要な塩硝、硫黄、木炭の中、もっとも手に入りにくいのが塩硝ですが、中国にはこの塩硝の原料になる天然の硝石産地があったのです。
1543年、種子島に鉄砲が伝わって以来、日本でも塩硝の需要が高まりました。しかし当時の日本には「国産の硝石がなかったため、近くは中国から密輸し、遠くはタイと交易していた」1といいます。
鉄砲伝来からまもなく、日本国内でも塩硝が作られるようになりました。では、どのようにして作ったのでしょうか。
合掌造りの民家といえば岐阜県の白川郷が有名ですが、富山県南砺市の五箇山にも合掌造りの民家があります。この五箇山の民家では、16世紀半ばごろから独自の方法で塩硝づくりが行われていました。囲炉裏の下に直径3.6m、深さ2mほどのすり鉢型の穴を掘り、ヒエがら、タバコがら、ソバがらを鋤き込んだ上に、アンモニア源として蚕の糞を混ぜた土と、窒素や酸素の通りをよくするための山草、サク(シシウド)、ヨモギなどの干し草を交互に敷き詰め、約5年間発酵させます。すると囲炉裏の熱によってバクテリアが硝化作用を起こし、硝酸カルシウム(Ca(NO₃)₂)が生成されます。水に溶かした硝酸カルシウムを煮詰めて、これに草木の灰を混ぜると、硝酸カルシウムと灰の炭酸カリウム(K₂CO₃)が反応して、塩硝(硝酸カリウム KNO₃)ができるのです2。囲炉裏の熱だけでなく、発酵の熱も加わるので、部屋の中は冬でも暖かかったといいます。
耕地の少ない山間に暮らす五箇山の人々にとって、塩硝づくりは養蚕、紙漉きとともに重要な収入源でした。できた塩硝は加賀藩によって買い上げられ、良質な火薬となって藩の特産品となっていました。
五箇山の合掌造りの村は、1995年、飛騨白川村とともに世界遺産に登録されました。南砺市菅沼には、塩硝づくりの歴史を紹介した塩硝の館があり、往時の五箇山の暮らしを伝えています3。
注
- (明)鄭舜功『日本一鑑』
硝 土産所無、近則竊市於中国、遠則興販於暹羅。 - 板垣英治「五箇山の塩硝史 – 最高品質・最高生産量・最長期生産」(『風俗史学』第42号 2011年)
- 「塩硝の館」→世界遺産五箇山観光情報サイト五箇山彩歳
参考資料
- 西沢勇志智『花火の研究:新兵器化学』(内田老鶴圃 1928年)→国立国会図書館デジタルコレクション
- 板垣英治「五箇山の塩硝」(『大学教育開放センター紀要』第18号, 1998年)→金沢大学学術リポジトリKURA
- 板垣英治「加賀藩の火薬1.塩硝及び硫黄の生産」(『日本海域研究』第33号 2002年)→金沢大学学術リポジトリKURA
- 板垣英治「五箇山の塩硝史 – 最高品質・最高生産量・最長期生産」(『風俗史学』第42号 2011年)→金沢大学学術リポジトリKURA
- 「櫟木民部少輔一流石火矢序」(『櫟木家文書』長門国一ノ宮住吉神社社務所 1975年)→国立国会図書館デジタルコレクション


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