【コラム】日中の心をつないだ通訳
西暦 | 年齢 | 出来事 |
1931 | 0 | 8月、劉徳有、大連に生まれる 9月、満州事変(九・一八事変)勃発 |
1938 | 7 | 4月、大連霞尋常小学校(のち大連霞国民学校に改名)に入学 |
1944 | 13 | 4月、大連中学校に入学 |
1949 | 18 | 3月、大連沙河口第四完全小学校の教諭となる |
1950 | 10月、日中友好協会設立 | |
1951 | 20 | 3月、大連市日僑学校に転勤し、中国語を担当 |
1952 | 21 | 5月、第一回日中民間貿易協定調印(日本代表:高良とみ、帆足計、宮腰喜助) 12月、北京の外文出版社に転勤し、『人民中国』編集部で翻訳を担当 |
1953 | 22 | 中国、第一次五カ年計画開始(~1957) 3月、中国紅十字会と日本赤十字社・日本平和連絡会議・日中友好協会の3団体が在華日本人帰国について協議 6月、『人民中国』(日本語版)創刊 7月、朝鮮戦争で停戦協定締結 10月、第二回日中民間貿易協定調印 |
1954 | 23 | 7月、日本の国会議員代表団16名が北京を訪問、通訳を務める(初の外賓接待) 10月、中国紅十字会代表団が訪日(団長李徳全、副団長廖承志)(初の訪日代表団) |
1955 | 24 | 1月、中日民間漁業協議の通訳を務める(初の交渉通訳) 3月、第3回日中民間貿易協定調印のため訪日する中国貿易代表団(団長雷任民)の通訳として訪日(初の日本訪問) 4月、バンドン会議に出席する中国代表団を乗せたチャーター便が中国国民党によって爆破され、墜落 6月、日本学術会議代表が訪中し、南原繁・大内兵衛と周恩来が会見。通訳は趙安博。周恩来と日本人の会見を初めて見る 8月、日本新聞放送関係訪中団と周恩来の会見の場に立ち会う台湾 10月、日本国会議員訪中団と毛沢東との通訳を務めるが、「人種」を「民族」と誤訳し、廖承志と交代 12月、中国科学代表団(団長・郭沫若)の通訳として訪日 日本駐留米海兵隊が核ロケット砲オネストジョンの配備計画が明らかに |
1956 | 3月、日本中国文化交流協会設立 9月、中国共産党第八回全国代表大会の同時通訳を行う |
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1957 | 26 | 12月、中国農業代表団(代表王震)の通訳として訪日 |
1958 | 5月、長崎で右翼による中国国旗毀損事件(長崎国旗事件)が起こり、以後約2年半、日中間の貿易が停止 | |
1959 | 3月、社会党第二次訪中使節団団長の浅沼稲次郎が、北京で「台湾は中国の一部であり、沖縄は日本の一部であります。それにもかかわらず、それぞれの領土から分離されているのは、米帝国主義のためであります。米帝国主義は日中両国人民の共同の敵」と発言した際の通訳を務める 同月、山西省洪洞県の農村に8ヶ月間下放される 10月、松村謙三と周恩来の車中会談の通訳をする |
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1960 | 10月、日比谷公会堂での党首立会演説会で、浅沼稲次郎が刺殺される | |
1961 | 30 | 3月、アジア・アフリカ作家会議臨時大会に参加する中国作家代表団(団長巴金)の通訳として訪日 7月、有吉佐和子の依頼を受け、『世界文学』7月号に「祈祷」の翻訳を発表 10月、日中友好協会訪中団(団長黒田寿男)・日本民間教育代表団と毛沢東、周恩来との会談の通訳を務める |
1962 | 9月、松村謙三と周恩来の第二回会談 11月、高碕達之助と廖承志が北京で中日長期の総合貿易覚書に調印(LT貿易) |
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1963 | 6月、『人民中国』創刊十周年の記念活動として、中国外文出版社代表団(団長羅俊)の一員として訪日 7月、第二次日中友好青年キャンプに参加し、台湾の国旗問題で長野市に抗議 |
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1964 | 1月、中仏国交樹立 2月、高碕達之助没 4月、訪中した岡崎嘉平太と廖承志の間でLT貿易の連絡事務所の相互開設、松村謙三と廖承志の間で新聞記者交換に関するメモを交換 5月、共同通信社の岩本清と周恩来の会見の通訳をする 9月、『光明日報』記者として東京に駐在。新華社東京支社設立 10月、中国が原爆実験成功 11月、佐藤栄作内閣が発足(~1972年7月) 12月、駐日主席記者の丁拓が帰国し、新たに張紀明が着任 |
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1966 | 6月、米核潜水艦の横須賀入港の際、デモ隊とともにスローガンを唱えたと冤罪をかけられる 10月、日中友好協会が分裂 |
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1967 | 2月、善隣学生会館事件 7月、川口マンションから孫平化宿舎に転居 |
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1971 | 6月、公明党竹入義勝委員長が訪中、周恩来から国交正常化五原則を伝えられる 7月、米キッシンジャー国家安全保障問題担当補佐官が訪中 8月、松村謙三没 10月、国連総会で中国の国連代表権を認めるアルバニア案が採択される |
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1972 | 7月、田中角栄内閣が発足 同月、蕭向前が覚書貿易弁事処東京連絡事務所主席代表に着任 同月、上海バレエ団訪日(団長孫平化・秘書唐家璇) 同月、公明党竹入義勝委員長が訪中し、田中首相に周恩来との会談記録(竹入メモ)を伝える 9月、自民党副総裁椎名悦三郎が特使として訪台 共同通信社福島慎太郎が訪中し、新華社と共同通信社のための北京―東京間専用線を開設 |
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1974 | 12月、田中内閣総辞職し、三木武夫内閣発足 | |
1976 | 7月、日本がフォーリン・プレス・センターを開設 10月、四人組逮捕 12月、三木武夫首相が辞任し、福田赳夫内閣発足 |
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1978 | 6月、15年の記者生活を終え、北京に帰る 8月、園田直・黄華両外相が日中平和友好条約に調印 10月、鄧小平副総理が訪日し、日中平和友好条約の批准書を交換 |
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1983 | 9月、李一氓主催の中国国際交流協会代表団に秘書長として随行訪日 | |
1984 | 3月、中日友好二十一世紀委員会委員に就任 | |
1985 | 7月、中日友好協会代表団(団長王震)の副団長として訪日、長崎で潘鶴作「乙女の像」の除幕式に参加 |
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