【コラム】中国帰還者連絡会の結成

日中交流の史跡と文化
撫順戦犯管理所(中国遼寧省)

齋間葉月

 1950年7月、ソ連のシベリアに抑留されていた日本人捕虜969名1が、建国して間もない中国に引き渡されました。彼らが収容されたのは、撫順にある戦犯管理所でした。
 捕虜ではなく、戦犯として収容されたことを知った彼らは、ひどく動揺しました。この戦犯管理所は1936年に日本が開設したもので、戦時中は日本の官憲によって多くの中国人政治犯が捕らえられ、命を落とした場所だったからです。
 ところがここでの待遇は、シベリアでの過酷な生活とは全く異なるものでした。管理所の職員たちがコーリャンやトウモロコシなどの雑穀を食べる中、戦犯たちには日本の食習慣にあわせて白米が支給され、健康管理のために定期的な検診が行われ、球技の試合や文芸公演、映画鑑賞、各地への参観や旅行などの活動が定期的に催されました。
 このような待遇が与えられたのは、当時首相であった周恩来の「性本善」の信念に基づくものでした。むかし中国の子供たちが学んだ『三字経』の冒頭には、儒教の基本思想であるこんなことばが記されていました。
 人之初 性本善
 人間は本来善なるものである
 管理所の職員の中には、収容されている戦犯に家族全員が殺された人もいました。しかし周恩来は「戦犯といえども人間であり、人格と日本人の習慣を守り罵倒や殴打などをしてはならない」と言い、戦犯たちの更生を助けるよう指示したのです。
 その結果、日本の戦犯も徐々に「自分たちも日本帝国主義の被害者である」という認識をもちはじめ、罪を告白し、本来の人間性を取り戻していったのでした。
 1956年6月、特別軍事法廷が設けられ、戦犯の審理が行われました。戦犯の中には自ら死刑を求める請願書を出した者もいましたが、法廷は罪状の重い45名だけを有罪とし、他の897名を不起訴とする判決を下しました。こうして不起訴となった戦犯は翌年日本に帰国し、有罪となった者も、収監中に病死した1名を除き、1964年3月までに全員が帰国できたのです。
 しかし帰国後の日本社会は冷たく、罪を認め、戦争を反省した彼らは、中国共産党に「洗脳」された者とみなされ、就職さえ難しく、日本政府へ提出した補償の請求も却下されてしまいました。そうした中、1957年9月、撫順戦犯管理所と太原戦犯管理所から帰国した元戦犯約1000人が連絡会を結成しました。それが中国帰還者連絡会(中帰連)です。彼らは「人道主義に基づき、過去の罪業を反省し、侵略戦争に反対し、平和を守り、日中両国の友好発展に貢献すること」3を目的に、全国各地で講演会を開いたり、元戦犯たちの証言を集めた出版などを行いました。
 同会は会員の高齢化により、2002年に解散となりましたが、2006年、埼玉県川越市にNPO中帰連平和記念館が開設されました。戦争に関する資料を保管収集し、研究者やメディアへの提供をおこなうことで、次世代に繋げる取り組みを行っています。

  1. 撫順戦犯管理所には、ソ連から引き渡された969名のほかに、太原戦犯管理所から移管された4名と、各地から移された9名の計982名の日本人戦犯が収容されていた。
  2. 「運動場にいた一人の日本人戦犯の前に、二人の調理員が立ちふさがった。片方の炊事員が叫んだ、『止まれ!今日こそ仇を討ってやる!』炊事員は烈火のごとく怒って、今にもなぐりかかろうとした。ちょうど看護士がそこを通りかかり、彼を制止した。戦犯はわけが分からないまま、そこにたちすくんでいた。通訳が飛んで来て、調理員が彼に対して怒っている理由を説明した。戦犯はそれを聞くと、驚きの余り顔色を失った。
     それは、10年前、1942年夏のことであった。当時陸軍第59師団第111大隊の分隊長だったこの戦犯は、部下を率いて山東省の農村に行き、収穫したばかりの小麦を出せと強要した。しかし日本軍のたび重なる略奪によって、農民の手元にはもう出せる小麦はなかった。農民たちが誰も口を開かないので、彼は命令して、村の老人や若者など全員を村の東はずれにある池のほとりに追いつめた。そこで全員を銃殺し、死体を池に投げ捨てさせたのだ。
     そのとき、まだ10歳の子どもだったこの調理員は、家族全員を殺された。彼一人だけが、壁の陰に隠れて辛うじて難を逃れた。彼は父母が日本軍の銃剣で殺されるのを自分の目で見た。そして、下の姉が日本軍に強姦された後、銃剣で突き殺された惨劇も目撃した。彼はその残忍な日本軍分隊長の顔をしっかりと覚えていた。忘れもしないあの殺人鬼が、自分の目の前にいたのだ。」(金源『撫順戦犯管理所長の回想』桐書房 2020年 P.260)
  3. 「中国帰還者連絡会会則」第二条

NPO中帰連平和記念館
〔所在地〕〒350-1175 埼玉県川越市笠幡 1948-6
〔交 通〕東武東上線「鶴ヶ島駅」西口(タクシー10分)
     JR川越線「笠幡駅」徒歩25分
〔開館日〕水、土、日 10:30~16:30(なるべく事前にご連絡下さい)
〔電 話〕049-236-4711
〔E-mail〕npo-kinenkan@nifty.com

参考資料

  1. 中国帰還者連絡会編『完全版 三光』(晩聲社 1984年)
  2. 金源『撫順戦犯管理所長の回想』(桐書房 2020年)
  3. NPO・中帰連平和記念館(https://npo-chuukiren.jimdofree.com/ 最終閲覧:2024年1月15日)

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