太陽の動きや星を頼りに航行していた中世ヨーロッパの人々にとって、大西洋や太平洋などの大洋を渡るのは容易なことではありませんでした。ひとたび悪天候になれば、太陽や星が見えず、方位がわからなくなってしまうからです。それを解決し、大航海時代を可能にしたのが、中国で発明された羅針盤でした。
では、羅針盤はいつごろ誕生したのでしょうか。
399年、シルクロードを通ってインドに向かった法顕は、インドでの求法の旅を終え、413年、海路を通って帰国しました。当時の航海について、法顕はこう記しています1。
海は果てしなく、方位がわからない。ただ、月日や星を頼りに進む。悪天候の時は、風に吹かれるままに行くので、当てにならない。‥‥晴れるとようやく方位がわかり、正しい方向に進む。
法顕が乗った船は、太陽や星で方位を調べる天文航法で航海していました。しかし、当時はまだ羅針盤がなかったため、悪天候の時は方位がわからなかったのです。
羅針盤が記録に登場するようになるのは、北宋時代のことです。仁宗の勅命により1044年に曾公亮らが編んだ軍事技術書『武経総要』には、磁化した魚形の鉄片を水に浮かべて方位を調べる「指南魚」の作り方が記されています2。『武経総要』は西夏との戦いの中で編まれたため、「指南魚」も陸上戦での応用が紹介されているだけですが、1119年に朱彧が著した『萍洲可談』には「指南針」という航海用の方位磁石が登場します3。
船頭は地理を知り、夜は星を見,昼は太陽を見、悪天候の時は指南針を見る。
南宋時代になると、「指南針」は方位盤のついた「針盤」へと発展し、航海には不可欠のものとなります。南宋の呉自牧は『夢粱録』の中で、それがいかに重要かを次のように記しています4。
悪天候の時には、針盤だけを頼りに航行する。これは船頭が扱い、わずかな誤りも許されない。乗員すべての命がかかっているのである。
ヨーロッパの記録に羅針盤が登場するのは、それから100年以上も後のことです。1190年頃、イギリスの学者アレクサンダー・ネッカムが著した『事物の本性について(De Naturis Rerum)』に、悪天候の時、船乗りたちが磁針を使って方位を調べていることが記されていますが、これが最初の記録だといいます。
では、日本にはいつごろ伝わったのでしょうか。
明の李豫亨が著した『推蓬寤語』にこんな記事があります5。
世間で使われている術家の鍼盤は、針を水に浮かべ、その指す方向で南北を定めている。近年、吳越閩廣などの地方はしばしば倭寇の被害に遭っているが、倭寇の船は水を使わない旱鍼盤を用いて海路を確認している。そこで、呉の人々はこれを捕らえてその仕組みを模倣し、旱鍼盤を多く使うようになった。しかし、その針は磁石で磁性をつけるため、磁力が衰えると機能が落ちる。このため水鍼盤の方が正確である。
李豫亨が『推蓬寤語』を著したのは1570年ですから、遅くとも16世紀には倭寇船のような民間の船にも羅針盤が使われていたことがわかります。面白いのは、日本の船に使われていたのが中国の船で一般的な水鍼盤(湿式羅針盤)ではなく、旱鍼盤(乾式羅針盤)だったことです。
旱鍼盤は、ヨーロッパでは14世紀から使われていました。この時期の倭寇にはポルトガル人も加わっていましたから、倭寇の旱鍼盤も中国から直接ではなく、ヨーロッパを経由して伝わったのかもしれません。
日本ではその後、ウラハリ(裏針)という特殊な旱鍼盤が誕生します。これは方位盤を普通の方位磁石(本針)と逆回りにしたもので、方位盤の子午線を船体の中心線と合わせると、磁針は常に船の進路を指すようになります。下図のように、船首を丑(北北東)に向ければ、磁針も丑を指すのでとても便利です。このため和船では近代に至るまでこのウラハリが使われていました6。
ちなみに磁石は真北を指すわけではありません。地磁気は地球内部の溶けた鉄の流れによって作られるため、磁石が指す北(磁北)は北極点にある真北と異なり、常に移動を続けています。これよって生じる磁北と真北のずれを偏角といいます。中国では11世紀、北宋の沈括が『夢渓筆談』の中で偏角の存在を指摘しており7、このため実際の航海では、北極星などを観察して偏角を補正していました。
資料
- (東晋)法顕『仏国記』
大海弥漫無邊,不識東西,唯望日月星宿而進。若陰雨時,爲逐風去,亦無准。(中略)至天晴已乃知東西復望正而進。 - (北宋)曾公亮・丁度ら編『武経総要』巻十五
若遇天景曀霾,夜色暝黑,又不能辨方向,則當縱老馬前行,令識道路。或出指南車及指南魚以辨所向。
指南車法,世不傳。魚法,用薄鐵葉剪裁,長二寸,闊五分,首尾銳如魚形,置炭火中燒之,候通赤,以鐵鈐鈐魚首,出火,以尾正對子位,蘸水盆中,沒尾數分則止,以密器收之。用時置水椀於無風處,平放魚在水面令浮,其首常南向午也。 - (北宋)朱彧『萍洲可談』巻二
舟師識地理,夜則觀星,晝則觀日,陰晦觀指南針。 - (南宋)呉自牧『夢粱録』巻十二
風雨晦冥時,惟憑針盤而行,乃火長掌之,毫釐不敢差誤,蓋一舟人命所繫也。 - (明)李豫亨『推蓬寤語』巻七(1570年)
世所用惟術家鍼盤用水浮鍼視其所指以定南北。近年吳越閩廣屢遭倭變。倭船尾率用旱鍼盤以辨海道,獲之仿其制,吳下人始多旱鍼盤。但其鍼用磁石煑制,氣過則不靈,不若水鍼盤之細密也。 - 桜田勝徳『漁村民俗誌』(一誠社, 1934年)p.205
- (宋)沈括『夢渓筆談』巻二十六
方家以磁石磨針鋒,則能指南。然常微偏東,不全南也。
参考文献
- 今井溱「天文航海」「中国磁針史雑考」「続・中国磁針史雑考」(『中国物理雑識』東方学術協会 1946年)
- 白井靖幸「磁気羅針儀伝来についての一考察」(『日本機械学会関東支部第9期総会講演会講演論文集』2003年)
- 足立喜六「法顕の帰還の航海に就いて」(『法顕伝 : 中亜・印度・南海紀行の研究』法蔵館 1940年)
- 藤田元春「日本人が用ひた航海用旱鍼盤」(『日支交通の研究』中近世篇,富山房,1938年)


-120x68.png)
コメント