〔コラム〕謎の地方病との戦い

日中交流の史跡と文化
「杉山なか女紀念碑除幕式」(森下薫『ある医学史の周辺:-風土病を追う人と事蹟の発掘』日本新薬-1972年より)

 1972年、湖南省の長沙馬王堆1号墓で見つかった女性の体内から日本住血吸虫の卵が発見されました。75年、湖北省の江陵鳳凰山168号墓で見つかった男性の体内からもこの寄生虫の卵が見つかっています。いずれも前漢時代の墓ですから、この寄生虫は二千年以上も前から長江流域に暮らす人々を苦しめていたことがわかります。
 高熱を出し、腹水で腹が膨れ上がり、やがて肝硬変などで死に至る奇病。日本でもかつては謎の地方病として、山梨や広島、九州北部など一部の地域で猛威を振るっていました。
 その原因解明の第一歩となったのが、一人の女性の献体でした。山梨県甲府市でこの病に苦しんでいた杉山なかは、「該地方病に罹り悩む処の数多の諸氏を助け」ようと、死後の献体を申し出たのです。1897年、その遺志に従って解剖が行われた結果、肝臓や大腸の壁から多数の虫卵が見つかり、新しい寄生虫病であることがわかったのです。
 1904年、岡山医学専門学校(現岡山大学医学部)教授の桂田富士郎は、甲府市の医師の家で飼われていた猫を解剖し、杉山なかの解剖で見つかったのと同じ虫卵と、その成虫と思われる寄生虫を門脈の中から発見しました。桂田はこれを吸虫属の新種として日本住血吸虫(学名: Schistosoma japonicum)と命名しました。
 日本で原因となる寄生虫が発見されると、1905年、中国でも感染者が見つかりました。米国の長老教会から派遣され、湖南省常徳市で医療活動を行っていた医療伝道師のローガン(O.T.Logan、中国名:羅感恩 1870-1919)が、中国医療伝道協会が発行していた雑誌 The China Medical Missionary Journalに中国での血吸虫病の最初の症例を発表したのです。さらにその後の調査によって、有病地は全国12の省に及ぶことも明らかになりました。
 では、住血吸虫はどのように感染するのでしょうか。1909年、京都医科大学教授の藤波鑑らはこの謎を解くため、動物実験を行いました。17頭の牛を2組に分け、一方には有毒地の草や水を与え、もう一方には有毒地の水に脚を浸させました。その結果、前者は感染せず、後者のみ感染が見られたため、住血吸虫は皮膚から侵入することが明らかになりました。
 しかし、そこに新たな謎が生まれました。住血吸虫の成虫は雌雄ともに2cm前後と大きく、皮膚から侵入するとは考えられません。一方、卵から孵化したばかりの幼虫(ミラシジウム)には感染力がないこともわかりました。幼虫はどのようにして感染力を獲得するのか。1913年、九州帝国大学医学部教授の宮入慶之助らは、佐賀県で住血吸虫の幼虫が中間宿主とする小さな巻貝を発見しました。幼虫はこの貝の中で成長して0.5mmほどのセルカリアとなり、水中に泳ぎ出て人や動物の皮膚に触れると、分解酵素を分泌して体内に侵入するのです。この貝は発見者である宮入教授の名を取ってミヤイリガイ(学名:Oncomelania hupensis nosophora)と呼ばれています。
 住血吸虫はミヤイリガイがなければ人や動物に感染することができません。こうして住血吸虫病の撲滅のため、ミヤイリガイとの戦いが、日中両国で始まったのです。
 1996年、日本最大の有病地であった山梨県は日本住血吸虫病の終息を宣言しました。杉山なかの解剖から99年後のことでした。甲府市向町にある盛岩寺には、杉山なかの紀念碑がいまも建っています。

▼ローガン医師(前列右から3人目 湖南省常徳市広済医院 1912年)

〔出典〕アメリカ疾病予防管理センター(CDC)

参考資料

  1. 〔記録映画〕地方病との斗い-第一部 水腫脹満- 1978年 山梨県地方病撲滅協会→NPO法人科学映像館
  2. 〔記録映画〕地方病との斗い-第二部 治療と駆除- 1978年 山梨県地方病撲滅協会→NPO法人科学映像館
  3. 「杉山なかの紀念碑」(森下薫『ある医学史の周辺 : 風土病を追う人と事蹟の発掘』日本新薬 1972年)→国立国会図書館デジタルコレクション
  4. O.T.Logan: A case of dysentery in Hunan province, caused by the trematode, schistosomum japonicum. The China Medical Missionary Journal vol.19, 1905. →MedNexus
  5. 「羅感恩」(常德市博物館)→常德市人民政府サイト

 

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