第27回 中国の四大発明(1)紙

日中交流の史跡と文化
前漢時代の紙(放馬灘紙、1986年、甘粛省天水放馬灘5号漢墓より出土)

 ヨーロッパの中世から近代への移行期に生きたフランシス・ベーコン(1561-1626)は、全世界を変えた三つの発明として印刷術・火薬・羅針盤を挙げました1。『中国の科学と文明』の大著で知られるジョセフ・ニーダム(1900-1995)は、これに紙を加え、「古代に創造されたものの中で、紙と印刷の発明ほど重要なものはほとんどない」と指摘しました2
 15世紀、ヨーロッパで起こった印刷革命は、知識の普及を可能にし、ヨーロッパ社会を中世から近代へと変える大きな契機となりました。そして、これを可能にしたのが、11世紀ごろ、イスラム世界を通じて伝えられた製紙技術でした。ヨーロッパではそれまで羊や山羊の皮で作った羊皮紙(parchment)が使われていましたが、これでは本の印刷はできません。製紙技術が伝わったことにより、本の印刷も可能になったのです。
 では、紙はいつごろ発明されたのでしょうか。
 従来、定説となっていた「紙は105年、後漢の蔡倫によって発明された」という説は、いまでは否定されています。前漢時代の遺跡や墓から紙が見つかり、当時すでに紙が発明されていたことがわかったからです。現在のところ、それより古い時代の紙は発見されていないため、紙は前漢時代に発明されたと考えられています。
 紙が発明される前、中国では何に文字を書いていたのでしょうか。中国に「韋編三絶」という言葉があります。これは孔子が『易経』という書物を愛読するあまり、「韋編」すなわち木簡・竹簡を繋ぐ革紐かわひもを三度も擦り切ってしまったという故事に由来する言葉です3。孔子の時代には、本は木簡・竹簡に書かれていたのです。
 紙が発明されると、民間を中心にその使用が広まりましたが、役所では相変わらず木簡・竹簡が使われていました。403年、東晋を簒奪さんだつした桓玄かんげんは、「いま諸々の簡を用いる者は黄紙をもってこれに代えよ」という禁簡令を出しました4。黄紙というのは、黄檗おうばくで染めた紙のことです。黄檗には虫食いを防ぐ効果があるので、従来の木簡・竹簡に代えて、これを使うよう命じたのです。桓玄自身は間もなく殺されてしまいましたが、この禁簡令を契機として、中国では官民を問わず紙の使用が普及していきました。
 では、日本にはいつごろ製紙技術が伝わったのでしょうか。『日本書紀』によれば、推古天皇の18年(610年)、高句麗から絵具や紙、墨を作ることのできる曇徴という僧が来朝し、日本で初めて碾磑てんがいを造ったといいます5。碾磑というのは、水力や畜力を動力とする自動石臼のことで、製紙に使う原料を粉砕するのに必要な道具です。紙はそれ以前にも行政文書や仏典の写経などに使われていたでしょうが、碾磑を導入して量産が始まったのは、このころからのようです。
 京都に紙屋川という川があります。平安時代、この川のほとりに図書寮の附属機関である紙屋院かみやいんが置かれていました。当時の製紙技術の粋を集めた製紙所で、紙屋紙かみやがみと呼ばれる高品質な和紙を造っていました。
 『源氏物語』の中に「唐から輸入した紙はもろいので、朝夕に読誦する阿弥陀経にはむかない。そこで紙屋院の人を呼んで特注し、丁寧に漉かせた」という一節があります6。当時中国では、紙の原料の不足により繊維の短い竹が使われるようになっていました。このためこうぞの靭皮などを主原料とする和紙の方が丈夫だったのです。宋の江少虞は『皇朝類苑』の中で、美しい情景が描かれた日本の扇が高値で売られているのを見たと記していますが7、折っても破れない和紙の丈夫さを生かして作られた扇子は、中国にも輸出され、高価な美術品として取り引きされていたのです。

▼国宝「紙本著色扇面法華経冊子」(東京国立博物館蔵)

  1. フランシス・ベーコン著・服部英次郎訳「ノヴム・オルガヌム」(世界大思想全集 哲学・文芸思想篇 第5 p.311)
    (印刷術・火薬・羅針盤)これら三つの発見は、第一のものは学問において、第二のものは戦争において、第三のものは航海において、全世界の事物の様相と状態をすっかりかえてしまって、そこから無数の変化がおこったのである。そしてどんな帝国も、どんな宗派も、どんな星も、うえの三つの機械的発明以上に、人間の状態に大きな力をふるい影響を及ぼしたものはないように思われるのである。
  2.  Joseph Needham: Science and Civilisation in China, Part 1, Paper and Printing, Cambridge University Press, 1985
      Of all the products from the  ancient world, few can compare in significance with the Chinese inventions of paper and printing. Both have played a profound role in shaping world civilisations; and both have exerted a far-reaching impact for a very long time on the intellectual as well as the daily lives of countless people evrywhere. Paper has proved to be the most satisfactory material on which human thoughts are committed to writing, and when printing came to be allied to it, the ideas of one individual could be communicated to a multitude of others separated across great stretches of space and time. In short, the printed message has brought about changes in the intellectual mode of the human mind, and paper has provided the most economical and convenient means for its transmission. But of course paper has other uses than for writing and publishing; it has penetrated into every corner of ancient and contemporary society to become an indispensable article in daily life. Even though new media of communication have developed in recent times, the unique combination of paper, ink and printing are still the basic, permanent, portable, and perhaps the least expensive and accessible communicaiont device known to us today.
  3. (漢)司馬遷『史記』孔子世家
      孔子晚而喜易,序彖、繫、象、說卦、文言。讀易,韋編三絕。曰:「假我數年,若是,我於易則彬彬矣。」
  4. (唐)徐堅ら『初学記』巻二十一
      『桓玄偽事』曰:古無帋故用簡,非主於敬也。今諸用簡者皆以黃紙代之。
  5. 『日本書紀』巻第二十二推古天皇紀
      十八年春三月、高麗王貢上僧曇徵・法定。曇徵、知五經、且能作彩色及紙墨、幷造碾磑。蓋造碾磑、始于是時歟。
  6. 『源氏物語』鈴虫巻(与謝野晶子訳)
     阿弥陀経、唐の紙はもろくて、朝夕の御手ならしにもいかがとて、紙屋の人を召して、ことに仰せ言賜ひて、心ことに清らに漉かせ給へるに、この春のころほひより、御心とどめて急ぎ書かせたまへるかひありて、端を見たまふ人びと、目もかかやき惑ひたまふ。
    罫かけたる金の筋よりも、墨つきの上にかかやくさまなども、いとなむめづらかなりける。
    (朝夕に読誦どくじゅされる阿弥陀経は支那の紙ではもろくていかがかと思召おぼしめされ、紙屋かんや川の人をお呼び寄せになり特にお漉すかせになった紙へ、この春ごろから熱心に書いておいでになったこの経巻は、片端を遠く見てさえ目がくらむ気のされるものであった。けいに引いた黄金の筋よりも墨の跡がはるかに輝いていた。)
  7. (宋)江少虞『皇朝類苑』巻六十二、風俗雑誌、日本扇
      熙寧末、予遊相國寺、見賣日本國扇者。琴漆柄以鴉靑紙厚如餅、摺為旋風扇。溪粉畫平逺山水薄傅以五采近岸為寒蘆衰蓼鷗鷺佇立景物如八九月間小舟漁人披簔釣其上天末隱隱有微雲飛鳥之狀意思深逺筆勢精妙中國之善畫者或不能也索價絶高予時苦貧無以置之每以為恨其後再訪都市不復有矣。

参考文献

  1. 潘吉星『中国製紙技術史』(平凡社 1980年)→国立国会図書館デジタルコレクション
  2. 小林良生「蔡倫以前紙に関する学術論争」(『科学史研究』第Ⅱ期第47号 2008年)→国立国会図書館デジタルコレクション
  3. 久米康生『和紙文化誌』(毎日コミュニケーションズ 1990年)→国立国会図書館デジタルコレクション
 
 
 

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